1日10分掃除をしてみた結果

朝やるのがよろしい。やるべきことを朝片付けて1日を過ごす

毎日精力的に身の回り、家、職場を掃除されている方には何ともたわいもない話であるが、私の場合、その心がけが疎かであるため、1日10分の清掃を必ずやることにした。10分という時間はとても短い時間で、この10分が捻出できないという人はいないと思う。時に慌ただしい朝もあるが、10分くらいの時間は割けるはずである。そして、つい他のことをしたくなったり、10分余分に寝たくなったりするものであるが、何かの終わったタイミングで習慣にしてしまうのがよく、朝トイレに行って水を飲んでそうしたら掃除をする、というように決めてしまうのがよい。夜というよりは朝がよい。朝のルーティーンを習慣的に片づけられると精神衛生上非常に快適である。夜まで1日のうちにやるべきことを残しておくというのは何となく気持ちが悪い。有意義なルーティーンを設定し、それを朝にやってしまうのはとても気持ちがよい。

10分は短いが、長い。結構いろいろできる

さて、10分の清掃であるが、やってみると意外にその10分が長く感じるものである。何をどう掃除をするかは、決めておかない方がいい。その時キレイでないと感じたものをどんどん片づけていくのがよい。床の掃除や、ごみ箱のゴミを片付けるといったことだけでなく、窓を拭いてもいいし、窓のさんをキレイにしてもいい。臨機応変に頭を使ってやることが大切であり、目に見えてキレイになることをやるべきである。そうしないと、ルーティーンがただの面倒で仕方なくやる作業になってしまう。やるのもおっくうになるし、やっていて楽しくない。キレイになっているのかどうかもどうでもよくなり、やることが目的になる。それではいけない。掃除はキレイになるためにするべきであり、キレイでない箇所を工夫してキレイにするべきである。頑張るべきではなく、楽しむべきである。掃除をして光り増すさまを実感することは実に楽しい。やりがいがある。大仰にいえばこの作業を通じて、我々は自分の心を磨くことができる。

タイマーをセットして、やる抜く。1週間で1時間以上の清掃時間になる!

タイマーをセットして、やる抜く。1週間で1時間以上の清掃時間になる!
10分は時間を決めてやった方がいいから、タイマーをかけてきっちり10分間やるべきである。途中で止めるのはよくなく、多少時間が過ぎるのはOKだろう。毎日10分やる効果はいわゆる積み重ねというもので、1週間7日間で70分の作業である。週末にまとめて1時間強の時間を使うよりもはるかに負担は小さい。週末にまとめて1時間やればそれなりのことができるが、それを10分の積み重ねでできていれば、週末はもっと別な掃除をすることもできる。
やってみての実感としては、家がどんどんキレイになった。障子のホコリやかなり細かい部分まで、10分あると結構できる。この手を動かし、頭を使って工夫して自分の住環境をキレイにするという作業は、実に生命的に本来の姿であり、自律神経を活性化させる作用があるように思う。自律的であるということの精神医学的な論拠は分からないが、精神的なことは必ず外部に表出するものだろうから、掃除をすること、食事を作ること、姿勢を正すこと、身なりを整えること、といったことはとても重要なことだと思う。真仏屋裏に坐す。本当の仏はどこか遠く京都・奈良、或いはインドにあるわけではなく、宗教家のありがたい文章や講話にあるわけではなく、自分自身の内面や自分自身の行動に見出すべきである。30分くらいやれば相当なものだし、3分でもやれば楽しさを実感できるはずである。

自律神経を活性化し、根源的な自信を深める

前述のとおり、毎日やることを決めない、ことがポイントだと思う。何をやるべきか、要するにどこが汚いのかを探し、どうしてキレイにするかを考え、それを実行し、その効果を目で体感する。この作業はまったくの喜びである。素晴らしい趣味ともいえるし、最高の人生の楽しみでもあるだろう。逆に自分の身の回りを整える楽しさを知らずに一生を終えるなら、それは何とも貧しい人生と言えるのではないだろうか。召使いに世話をされ、全く清掃を知らずに生きる人がいるなら、それは不幸である。禅では作務を重視し、1日なさざれば1日食らわずというが、要するに自分のことは自分でやれ、と言っているのである。生活において自分のやることが少なくなっていくこと、貴族化することはある種人々の理想であるが、それはまったくの妄想で、不幸そのものである。子供の世話を焼きすぎるのは子どもの幸福を奪うことである。自分で考えて、自分でやってみて、その成功を実感する。この小さな成功体験は、社会生活においても必要な基礎的な“自信”を育むものである。掃除は自律神経を活性化し、小さな成功体験を重ね、私は自律・自立して生きているという自信を養うものである。