施無畏(せむい)

畏れ(おそれ)が無くなることを施す。すなわち、恐れなくていいようにしてあげること。観世音菩薩のことを施無畏者と称する。誰しもに不安がある。怖いという気持ちがある。それは何に対する恐れなのか、それは人それぞれである。上司や先輩が怖いということもあるし、予期せぬ不幸を被ることにおびえるということもあるだろう。努力に対する結果が出ないことに不安を感じる人もいるだろう。どうあれ、多くは将来起こり得るかもしれない可能性に対する不安だったりするものだ。

そして、今この瞬間を生きていればそうした恐怖はないし、将来その場に立てば、その時はその時でその瞬間に集中して生きるだけで、特にその状態で不幸に真っただ中にある場合ではないのである。いずれにしてもこうした恐れから解放するのが宗教の宗教たるゆえんであり、揺るぎない自信を抱かせるのが禅である。勇気凛々と生きろと老師はいう。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と芳賀先生は書き添える。我々の何の幻影に怯えているのだろうか。何にも怖いものないぞ、とはバガボンドの沢庵だったかな。