「徹底」の意味:川底に足をつけるさま。深く冷静で流されない悟りの境地を表わす禅語

意味

「徹底」とは深く冷静で流されない悟りの境地のことを言います。

汎用的な意味

完全に行き渡ること、という意味で使われることが多いです。

由来

悟りのレベルを川を渡るうさぎ、馬、象に例えた話が由来です。
泳いで渡るうさぎ、馬に対して、象は川底に足をつけて渡るので、これが目指すべきところとされました。

激流であっても底に足をつけていれば流されずに渡ることができる、世情はうつろいが激しいけれども深く冷静で流されない悟りの境地に達していれば、それに流されずに生きることができるという意味で用いられる言葉になりました。

実践を考える

完全にやり切るという意味では、長時間のハードワークで何かをやり抜くことのような実践になります。しかし、「深く冷静で流されない悟りの境地」という意味で考えると、徹底的であるということは、本質を捉えて、少しずつ進めていくということと理解できます。

大きな川をバシャバシャと音を立てて泳ぐうさぎや馬に対して、川底に足をつけて踏ん張りながら進む象の姿です。

着実に一歩ずつやっていく

一歩ずつ前に進むというのは、「サイの角のようにただ一人歩め」という有名な釈尊の言葉ともつながるような様子です。

徹夜をして苦労して完璧に仕上げるというよりは、1日1時間ずつ淡々とやっていくというような姿が「徹底」の本来のイメージに近いのだろうと思います。

うるさいというよりは静か

うるさいというよりは静か、色々たくさんやるというよりは少しずつ、速いというよりはゆっくりなさまが悟りの状態としてのイメージとして仏教が目指している状態なのかもしれません。

まとめ

せかされること、いろいろやること、いそがしいこと、こういうことを避けることが「徹底」の意味に近いようです。

慌ただしい世情に関わらず一歩ずつ進むには、「深く冷静で流されない悟りの境地」が必要で、周囲にせかされること、いろいろやることを求められても気にせずマイペースで進むには、自信が必要で、これが禅のテーマにつながっていきます。

激流をものともせず、のしのしと静かに歩みを進める力を、絶対的な自己に根源を求めるのが禅ということになります。

参考文献:「さすらいの仏教語」(玄侑宗久)