「穆如清風」(ぼくとして、せいふうのごとし)の意味:なごやかに、風のように
読み方
穆(ぼく)として清風のごとし、です。
出典
「詩経―大雅・烝じょう民みん」の詩の一節からです。
意味
穆は「慎む。やわらぐ。和やか。むつまじい。静か。美しい。」
https://www.kanjipedia.jp/kanji/0006489900
すなわち、意味としては
なごやかに、風のように
です。
禅語はおよそ例えますが、この語は「風」になぞらえています。如といっているので、明白です。
何が風のようであれと言っているかというと、いわずもがな人となり、人当たりです。
心に風を入れる
風は種を運び、森を育てます。また、家も換気していないと傷んできます。
人の心の換気を具体的に考えてみましょう。
実践1 実際に自分の部屋の窓を開ける
これだけで十分です。掃除もできたら最高です。
実践2 ジョハリの窓を開ける
心理学者のジョハリは、心に窓が4つあると考えます。
この考え方に則ると、心の窓の開け方は3つしかありません。
① オープン戦略
自分しか知らないことを人に伝える。これが一番分かりやすい心の窓の開け方です。しかし、他にも方法はあります。
② フィードバックを得る戦略
人の意見、評価に耳を傾ける。自分の気づいていない点を人の声を通して知る。謙虚の元です。
つまり、①と②の心の窓の開き方は、会話をするということになります。
③ 未踏領域へのチャレンジ戦略
自分も人も知らないことを探索していくことが、3番目の方法です。これも分からない者同士が会話をしながら、進めていくようなイメージなのかもしれません。困難や小さな前進を互いに共有することで、心の窓が自然と解放されていきます。
まとめ
実際に窓を開けて、心の窓を開けて、なごやかに、風のように今日一日をお過ごしください。