「穆如清風」(ぼくとして、せいふうのごとし)の意味:なごやかに、風のように

読み方

穆(ぼく)として清風のごとし、です。

出典

「詩経―大雅・烝じょう民みん」の詩の一節からです。

意味

穆は「慎む。やわらぐ。和やか。むつまじい。静か。美しい。」
https://www.kanjipedia.jp/kanji/0006489900

すなわち、意味としては

なごやかに、風のように

です。

禅語はおよそ例えますが、この語は「風」になぞらえています。如といっているので、明白です。
何が風のようであれと言っているかというと、いわずもがな人となり、人当たりです。

心に風を入れる

風は種を運び、森を育てます。また、家も換気していないと傷んできます。
人の心の換気を具体的に考えてみましょう。

実践1 実際に自分の部屋の窓を開ける

これだけで十分です。掃除もできたら最高です。

実践2 ジョハリの窓を開ける

心理学者のジョハリは、心に窓が4つあると考えます。


https://be-do.jp/blog/5591

この考え方に則ると、心の窓の開け方は3つしかありません。


http://stg-origin.aegpresents.com/o-18936.php

① オープン戦略

自分しか知らないことを人に伝える。これが一番分かりやすい心の窓の開け方です。しかし、他にも方法はあります。

② フィードバックを得る戦略

人の意見、評価に耳を傾ける。自分の気づいていない点を人の声を通して知る。謙虚の元です。

つまり、①と②の心の窓の開き方は、会話をするということになります。

③ 未踏領域へのチャレンジ戦略

自分も人も知らないことを探索していくことが、3番目の方法です。これも分からない者同士が会話をしながら、進めていくようなイメージなのかもしれません。困難や小さな前進を互いに共有することで、心の窓が自然と解放されていきます。

まとめ

実際に窓を開けて、心の窓を開けて、なごやかに、風のように今日一日をお過ごしください。