「逢茶々逢飯々」(茶にあえば茶、飯にあえば飯)の意味:ただやるべきことを無心でやっていくという禅語

読み方と意味

逢茶々逢飯々は、「茶にあえば茶、飯にあえば飯」と読みます。お茶を出されら、お茶を飲み、ご飯を出されたら、ご飯を食べます、という意味です。

素直であること

お茶を出されたらお茶を飲む、素直さということでしょうか。素直というとことを強調した人といいえば、松下幸之助です。

いろいろ考えていることがたくさんあると思うけど、一つだけ君に言おう。

素直な心でものごとをやれよ。

素直というのは平易にものをみること、難しくものをみないことだよ。

ものごとを平易に観ること、例えば素直に受け入れづらい助言や忠告、直視しづらい現実、自分の弱さや非などを受け入れることなのかと思います。

素直であるためには

元陸上選手の為末氏は、受け入れづらいアドバイスを素直に聞き入れられるかどうかは選手の成長に大きく影響するとしています。そしてそれができるかどうかという素直さの源泉は、心の根っこの部分に「自分には、まだ分からないことがある」という不可知論的な謙虚さがあるかどうかだと言っています。


為末大学 Tamesue Academy

しかし、受動的にならない

ただし、受け入れ続けるだけでは、言われた通りやるだけという受容的態度であり、禅の根幹である主体性の真逆になってしまいます。為末氏は、イエスマンはダメだと主張します。


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茶を出されて茶を飲む。いかに味わうかが重要。

飲むかどうかと聞かれれば、必ず飲め。ただし、ただ飲み込むのではなく、味わって飲むべきというのが禅的主体性の本懐だと思います。為末氏は、まずアドバイスは聞き入れて、それから考えればいいと言っています。先ほど述べたように、聞いた瞬間は受け入れづらい助言も、自分には知らないことがたくさんあるという謙虚さに立ってまず受け入れてみて、それから自分なりに咀嚼して自分の栄養にしていくなり、吐き出すなりすることがよいと言っています。

そのものをみる難しさ

ここで思い出されるのが「そのものをみる」という禅でよく言われる言葉です。そのものをみるというのは、プラトンの洞窟の例えのように、私たちの多くは、鳥そのものではなく、その影を見ているに過ぎないことが多いという前提に立ちます。私たちは自分の経験や慣習、周囲の価値観に従ってものごとを判断するため、鳥を美味しそうと判断したり、土鳩とだと判断したり、害獣と判断したりして、その鳥そのものを理解することが難しいという例え話です。時に鳥のようなものを鳥と判断したりという鳥風の誤謬を起こして続けているという批判です。

現実を受け入れて、自分なりに工夫して対応していく

私たちは日々、困難やストレスに遭遇します。耳を傾けづらい助言・忠告を受けることもよくあります。それをどのように飲み干し味わうのか問われるポイントです。できれば、「そういう有難いものはどんなものでも両手で授かって、そうして存分に楽しみましょう」と行きたいものです。逢茶々逢飯々は、そんなふうに人生を愉快にするためお禅語です。


 生活実践してみよう 

スマホは便利で楽しいですし、生活に必要だったりもしますが、思い切ってスマホを触る時間を削減して、現実世界に目を向けてスマホ以外にも必ずある、あなたがやるべきことをやるようにしてみましょう。ベストセラー「スマホ脳」では、スマホが与える精神的な障害(うつ、睡眠障害、学力低下、依存症)について問題提起しています。

・スマホがそばにあるだけで学習効果、記憶力、集中力は低下する

・フェイスブックの「いいね! 」の開発者は、「SNSの依存性の高さはヘロインに匹敵する

・スティーブ・ジョブズはわが子にiPadを与えなかった!?

英語でいうと

Tea when tea, meal when meal

原語の同じ言葉が重なり、同じ調子が重なる楽しさを英語で表現できればと思ったのですが、いかがでしょうか。

使い方

茶を出されたらお茶を飲む。厳しい現実に直面しても受け入れる。耳の痛い助言も受け入れる。そしてそれを味わう。出されたお茶をいかに味わうか、楽しむかは自分次第という素直さと主体性という一見両立しないものを両立する言葉が、”逢茶々逢飯々”です。従って使い方としては、

  • 失敗や困難でふさぎ込んでいる人を励ます場面で
  • 望まない結果に立ち往生している人に
  • 助言・苦言をまったく聞き入れられずに意固地になってしまった人に
  • 前途多難な船出にあたって頑張れの意味を込めて

といったところが考えられます。この意味から茶会や揮ごうの場面で使ってみてください。

まとめ

逢茶々逢飯々、いかがでしたでしょうか。どんなものごとで感謝を持ってく受け入れ、自分なりにに味わうという日常実践、まずは現実直視から実践していきましょう。