大憤志(だいふんし)

志を持って、決して退かないこと。これなくして、ことは得られないと。ことを得るまで続ければよい。志といってしまうと精神論のような話になってしまいがちである。意思が強い、弱いとか。そうではなくてあくまで結果論なのではないだろう。得られるまで続けたらそれは志があった、意思が強かったと。逆についに得ることができなかったならば、続けることができなかった、意思が弱かったと評される。最後死んでしまわないかぎり、いずれかの結果になる。得て志があったとされるか、得られず止めて志が小さかったとされるか。死んで終わってついに得られなかったならざそれはどうなるのだろうか。このくらいに死を意識して、最期まで歩むことを大憤志というのだろうか。とすれば、これは得るか、死ぬかの終着しかないということだ。