「白雲無根」(はくうんはこんなし)の意味:変化しつづける雲のようにこだわりなく清々しく生きる

読み方と意味

白雲(はくうん)は根(こん)無(な)しと読みます。口語体にして、「白雲に根っこなし」でも全然構いません。直感的に意味が取れること、語調がよいことが使う上では大事だと思います。

意味は雲は留まることがなくて常に動いているということで、「清流無間断」、「行雲流水」と同じような主旨になります。

本質的な意味

雲は絶え間なく動いていますが、空はそのままあり続けます。川の流れも同様で、水は流れ続けているけれども川はそこにあり続けます。この流転と固定の観点がこの語のポイントになります。特に流転に重きが置かれています。

人間の体の水や細胞も数か月でほとんど入れ替わってしまうそうですが、雲どんどん移り変わって、晴天の日にはなくなってしまいますが、すぐにまた現れます。

硬直的な生き方や考え方に対して、大胆な変化をよしとする、そんな禅語と言えます。時に人は変化に対して恐怖を感じますが、雲に根っこがなくて刻々と変化しても、また現れるし、空は空であり続ける。

あなたも狭い世界の因習、人間関係、思いこみに捕らわれることはない。どれほど変化しても、あなたはあなたであり続けると励ます言葉です。もっと言えば、そのように変化していくことの方が自然で、清らかだと言っているわけです。同じかたちをした雲が何日も浮かび続けていたり、川の水が流れなくなってしまっては不自然であり奇異です。

意味が近い言葉

  • 日新日々新(ひあらたに ひびあらたなり)(大学)
  • 窮すれば変ず、変ずれば通ず、通ずれば久し(易経)

変化を促す言葉は、道教だけでなく、儒教にも近しい価値観として存在する点は興味深いことです。常に新しくあることが永続性につながると逆説的真理を突き付ける言葉です。時に人は、ずっと変わらないこと、一貫性、こだわり、強固なものに価値を置くわけですが、そうした硬いものは弱くむしろ、変化する柔らかいものの方が強いと考えるわけです。

変化する弱いものの象徴としての雲

吹けば飛んでいく、散り散りになって消えていく、でもまた形を変えて現れる。雲とはそんな存在です。根がある、芯があるといった美徳に対して、そんなものすらない方が自然であり、永遠であると白雲無根は言っています。

空は常に美しい

自然は最大の芸術家で、見事な複雑さと壮大さを持ち合わせていますが、空はそれを端的に見て取れる存在です。空を仰げば、流転の美徳に気づき、変化への勇気をもらえます。

いかに実践するか

どんどん変化していくことがこの言葉の実践になりますが、究極的にはそんなことも考えない「無」の状態をよしとします。雲が何も考えずに変化しつづけているように、誰しも特に何とも考えていなければ自然と変化していくわけです。一貫していく、信頼にこたえる、伝統を守る、こういった価値観を禅では妄想として退けます。その瞬間のベストを尽くしていく、結果として一貫しているように見えるもの、伝統を守っているように見えるものもあるかもしれません。空と同じ、川の流れと同じというわけです。深く考えない、浅くも考えない、思考に疲れないことが白雲無根の本義と言えるかもしれません。

禅語は具象的表現でヒントを与えてくれるので、時に空を仰いでその美しさ、常に新鮮な雲の造形をなす自然の雄大さに、わが身の変化と一貫性という強迫からの解放のきっかけを得ることができれば、実践できたと言えそうです。