「この身即ち仏なり」:自分自身が仏であると信じること、これを悟りという
禅の最大テーマの1つが「自信」であるととは、こちらで確認しました。
この自信を持つためのヒントとなる言葉に、「この身即ち仏なり」があります。つまり、自分自身が仏であるという意味です。
実際、仏教というのは、自分自身が仏であることを悟らせるための宗教で、禅は身体的で実践的にそれを行おうという宗派です。
実際にどのように自分が仏であると信じるようになっていけるのか、すわなち自信を持つ方法をみていきましょう。
自分にできることをやってみる(自力に帰依し、実践する)
ストレッチする
何千年も前の釈尊の言葉を振り返るよりも、自分自身に目を向けましょうというのが禅の教えでした。それを観念的に行うのでなく、実践重視ですから、物理的に自分の体を使って自分自身の意識を向けて上げることは、精神衛生上も非常にプラスに働きます。
本格的にヨガに取り組まなくても、今ここで始めるのが禅ですから、簡単なストレッチから始めてみましょう。書籍を放って、悩み事を忘れて、自信の体に集中しましょう。正しい禅の実践です。
呼吸を整える
ヨガはもちろん、いま電車のなかだから、授業中だからストレッチもできないよ、という方は呼吸に集中してみてください。目を閉じて3回深呼吸してみましょう。空気が美味しいなと感じながらやってみましょう。呼吸は人間が意識的にできる運動の最小単位のもので、意識せずともどこでも誰しもがやっていますが、意識してやるとまた違いますし、どこでもできる点は大きなメリットです。
自分は自分の環境と自分自身で取り組むぞ、人の言っていることはクソだ、と空気を味わいながらもう10回深呼吸してみましょう。ワクワクしながら天上天下唯我独尊、良くも悪くも自分次第だと開き直りながら笑って終わりましょう。
オンライン座禅会
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姿勢を正す
今、すぐにできることが望ましいです。今この記事を座ってスマホを見ながら読んでいるなら、坐りなおして腰を立ててみてください。凛とした姿になると、心もキリっとしてきます。あっという間に仏になれます。だらけて座っていては仏になれません。どれほどの偉人にコトバも優れた考え方も、だらけて座っている人にはクソの役にも立ちません。
よく噛んで食べる
今、ここに集中せよと訴える禅の教えの下では、ながらご飯は禁物です。人と話すこともながらの一種です。ただ、食べることに集中します。正しい姿勢で、よく噛んで食べてみてください。これを調理してくれた人、運んでくれた人、生産してくれた人、生育していた環境を思いながら、こうして食事をできることに感謝して食べてみましょう。
【参考】日常生活を一つずつこなしていこうという禅語はこちらから
外に出る
外に出て歩きまましょう。そして体で感じます。
空を見上げる
必ず空があるのでそれを見上げてみましょう。この空はあなたが死ぬまず空としてあり続けます。あなたがどうなろうとも空であり続けます。なんだか愉快になってくるはずです。自然は大きくて豊かで、あなたの悩みはまったくどうでもいいくらい小さいものです。
そうしてこの空はいつもそこにあり続けるのですが、一方で一日として一瞬として同じ空はありません。実に豊かな存在です。
風を感じる
風を感じてみてください。これは素晴らしいことです。なぜならあなたが外に出て肌で外気を感じられたからその風を感じることができたわけですから。健康でなければ、生きていなければそれを感じることはできませんでした。
部屋で悩んでいては、テレビをみていては、本を読んでいてはそれを感じることはできませんでした。その感じた風を、人に言葉で伝えたり、写真を取ったり、本に書いたりすることはなかなか難しいことです。何物にも代えがたい体験そのものであり、禅はその体験が一番大事、人に伝えられるもの・人に伝えられたものはクソくらいの重要性があると考えます。禅に帰依するなら、ぜひ風のフィーリングを大切にしてください。誰かに伝える必要もない、しかしあなたの宝です。
【参考】五感で感じることを大切とする禅語はこちらから
まとめ:今、一つだけやる!いろいろやらなくていい
今、一つのことでいいので、実践してみてください。自分自身のなかにある仏を回復してください。慌てる必要はありません。しかし、この記事を読み流すだけではせっかくのご縁がもったいないと感じてしまいます。心落ち着けて「自分はやれる!」と自信を持って、「自分は大丈夫だ」と安心してください。そうしてなんだか愉快になってきたら、すっかりあなたは仏です。
監修者:「日常実践の禅」編集部
日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。