「物外」(もつがい)の意味:物質的な豊かさを超えた境地へといざなう

読み方と意味

物外は「もつがい」と読みます。意味は物理的なものの外側という意味で、物質的な豊かさではなく精神的に充足された境地のことを言っています。つまり、端的にいえばお金で買えるもの<お金で買えないもの、ですよねという価値観を確認する禅語です。物内に止まっていては、禅の望む大安心(だいあんじん、精神的安定)は得られないよねという意味になります。

使い方

あまり一般的な言葉でなく、会話の中で「もつがい」と使ってもなかなかピンと来てくれない言葉かと思います。意味はシンプルですが、形而上学的意味ですので使いづらく、揮毫や茶掛の掛け軸など、改まった場面で解説付きで用いるのがよいかと思います。

禅の大切にする物外のものとは

例えば禅は、茶道の場面では次のようなものを重視します。

・手料理でもてなす

・道具を手作りする

いずれもお金を払って人に頼むものではなく、自ら行うものです。仕出しの立派な料理、高価な茶道具よりも、自らが作った料理や道具を上位に考えます。"自分で行うこと”を第一義とする禅の思想が基底にあるためです。何となれば、物外ですから、料理でも道具でもなく、

・清潔な部屋

・手書きの招待状

などがさらに大事ということになります。清潔な部屋も手書きの招待状もお金でお願いできるかもしれませんが、それでは物内に止まっているということになります。

茶道以外の日常世界において

物外とは、物質的なもの、あるいは金銭的なもの、もっと言えば世俗的な物事の外側ということになります。つまり、

・自分にとって大切なもの
誰になんと言われようとも、社会的評価とは関係なく、自己絶対の基準としてあるもの

・打算のない素朴な感情
目の前で小さな子が転んだら、ハッとして手を差し伸べるような瞬間的な愛情

・経済的得失と無関係に享受できるもの
夕暮れ、山の中腹に立って沈む夕陽を眺めることは無料だが、全くの贅沢なひと時。

といったところかと思います。

日常実践としては自分なりの物外を探してみるのがよいかと思います。逆に物内のものも周囲にたくさんあるかと思います。外側にあるものと内側にあるものをリストアップしても面白いかと思います。物外は精神の安定に繋がり、物内は精神の不安定に繋がることが分かってくるかと思います。夕陽を眺めるひと時は常に素晴らしいですが、お金で買ったコレクションはお金がないとコレクションを追加できずに不安になりますし、コレクションの評価は他者によるものですから常に不安定で、精神的安定を妨げます。

まとめ:見つけた物外を実践してみる

ここまで物外の意味、その日常実践を考えてきました。具体的に実戦するなら、例えば、
・姿勢を正す
・笑ってみる
・室内を清掃する
・夕陽を眺めに行ってみる

いずれも無料です。そして、人にお金を払ってお願いできないことであり、自分が行うことばかりです。いつでも誰でもできること、物外の境地とは、実際には今すぐに実践できることであり、どこか遠い世界に幸せがあるわけではないという仏教・禅の基本に立ち戻らせてくれるのがこの禅語です。「今、あなたが仏になる」ことが禅の宗旨であり、「今ここが極楽である」とするのが禅の本懐です。お金が溜まったら何かを賈うからそれで幸せだ、では物内であり、そういうことでないという禅の基底そのものを現しているのが”物外”の一語ということになります。ぜひ、実践してみてください。