人生畢竟夢なり。とあれば、自暴自棄に刹那を生きるのか。そうではない。その瞬間瞬間を三昧の境地で、専心務めよと。以前見た森美術館のオノ・ヨーコの夢がよかった。ジョン・レノンの夢ともいうべきか。しかし、ジョンやヨーコの夢と、禅の夢はだいぶ違う。実現できなさそうな、でも実現したい空想のことを夢とはしない。夢はまったくの空で、それは空絵事としてしまえばそれはジョン・レノンの夢と同じだが、そうではなくて我々の実態的な生が空であり、今在る現実も夢だとしているので、だいぶ話としては違ってくる。夢ははかない、叶わない願いだったり、念願成就する大望でもない。今この瞬間が夢であるというわけだ。そしてこの夢想と肚を据えて付き合えと。

 

踏み込んでいえば、ジョンの夢もまた、彼がその日描いた現実であり、そしてそれゆえにその夢もまた夢だと。夢想も実態ならば、それもまた夢。多いにジョン・レノンのように夢をみて、また夢を語ってよいのかもしれない。