頓悟・漸悟(とんご・ぜんご)の意味:悟りは発展段階するのか、あるいはON/OFFのようなものか
とんご・ぜんご
悟りとは、いかに得れるものか。よく知らない。頓悟は突然に、いきなり、一気に。漸悟は少しずつ、だんだんと、順を追って。
後者はぴんとこない。そのような段階を誰が描いたというのだろうか。悟りとは成長、進歩、進級するようなものなのだろうか。とすれば、それはどれほどの時間がかかるのか。時間がかけた者ほどそれを得られるのだろうか。歴史には発展段階説というものがあるが、要するに段階的に社会が発展していくという極めて図式的で短絡的な歴史認識であり、ヘーゲル~マルクスの流れで、このマルクスの社会経済理論が20世紀に大きな影響力を持っていたわけだが、これはまったくの誤りである。世界や歴史や社会をそんな単純な構図で描くのは愚かである。それを信じるのはさらに輪をかけて愚かである。さて、悟りではどうだろうか。
悟りにおいて、ここに発展段階説を持ち出そうという人は、ある種の構築主義的な人であり、権威主義的な思考であり、共有可能な常識的な認識であある。禅とは、そうした世俗的体系・体制を逸脱するものではないだろうか。悟りの境地が、カリキュラム化された体系的知識であり、制度化された教育・訓練制度に基づくものであるとするのだろうか。笑止千万、ずいぶんと生臭い似非禅師だ。