「楽亦在其中」(楽しみまたそのなかにあり)何が起きても立ち上がれる。レジリエンスの低い人へ贈る禅語

読み方と意味

楽(たのしみ)は、亦(ま)た、其(そ)の中(なか)に在(あ)り。

意味

楽しみは何でもない素朴のなかに見出すことができる。

出典

論語の述而篇です。

子曰く、疎食を飯い水を飲み、肱を曲げて之を枕とする。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富みかつ貴きは、我れに於て浮雲の如し。

論語の意味

(手の込んだ立派な料理ではなく)粗食を食べて、(酒も買えないので)水を飲んで、(枕もないので)ひじを枕にして眠る。こういう中にも楽しみはある。正しい行いをせずに得た財産や名誉は私にとっては浮雲のようで、すぐに消え去ってしまうはかないものだ。

自由訳


高カロリーで工夫を凝らした料理人の作った料理をワイワイと酒を飲みながら食べれば、一瞬の贅沢さに酔うことはあっても、明日になれば昨日何を食べたのか、忘れてしまう始末だ。せっかくの料理も実にもったいないものだ。少しの野菜と米であっても、丁寧に料理し、畑を耕して作ってくれた人を想い食べれば、実に味わい深い。

喉が渇いて飲む水は、何にも増してありがたいものであり、美味しいものだ。体が欲しているからだ。逆に深酒は気持ちを悪くし、体にも悪い。

高尚なホテルの1室で眠っても、野宿で一晩過ごしても同じ眠りである。一晩の眠りに高額を払うのも悪くはないが、「月に臥し雲に眠る」で野宿を決め込んでも美しい夜空は実に贅沢なものだ。

本当に大切なこととはなんであろうか。一流シェフの料理、一流ホテルの寝室。実にはかない、本質を欠く幻想だ。本質を掴めないから、幻想にすがるしかないのかもしれない。本当の生き方は実に平凡なもののなかにある。財産、名誉、まったく低次な、楽しみというよりは苦しみの元だ。なぜ人はそんな低次なもの、苦しみの元を必死で追い求めるのか。ごく簡単に本当の楽しみを得ることはできる。

使い方

何かに添える例文です。

  • 楽亦在其中 左遷に落胆することはない。どこにあっても君は君だ。むしろ本当の仕事に気づく好機になる。
  • 楽亦在其中 十全なおもてなしができなくてもまあよしとしよう。それなりに楽しんでいただければよい。
  • 楽亦在其中 人生思い通りにはなかなかいかない。だからこそ面白い。思い通りに行かないことを楽しもう。

まとめ

「どこにあっても、幸せになれる」という仏教の基本テーマを表現する言葉として、禅語として拾い上げられることがある言葉です。元は論語ですが、行きつくところが同じというのは面白いですね。孔子もまた禅者といえる、そんな言葉でした。物事の捉え方を変えて、創意工夫を促す言葉と捉えてもよいかと思います。ぜひ今日1日、昨日と変わらない日常に、「楽しみ」をいくつも見出してください。