雪竹(せっちく)の意味:雪に負けずに緑を讃える竹に、逆境に負けない強さを見出す言葉

冬空から雪がしんしんと降ってきて、竹は静かにその雪を受け止めている。雪は竹のそばにあって、ますます白く、竹は雪のそばにあってますます青い。竹は一年中その色を変えないので、不老不死のめでたいものの象徴として、松とともに禅語によく登場する言葉である。仏教の故郷であるインドに竹やら松やらがあるのかどうかは知らない。中国にはあるのだろう。いずれにしてもこの島国ではよく見かけるのが、松であり、竹である。そしていずれもおめでたいものとして扱われる。

そして、そのめでたさの源泉である年中の青さは、こと冬においてそれが際立つ。言わずもがな、落葉樹は葉を落としいる季節であり、しかしながらこの季節には、正月があり、立春があり、喫茶も真っ盛りの時期であり、そうしてハレの場に相応しい植栽として、寒さのなかにあって輝く松や竹の緑が、美しく尊くなるのである。

雪竹は、まさにこの冬の青さに事のめでたさ、生命の強さ、寿(いのちながし)をみるものであり、そのコントラストの鮮やかさが、その感を強める言葉である。雪に降られてそれに埋もれない竹を眺める我々の吐く息の白さが見えたなら、掛けた者や揮毫した者の意を得たと言えるだろう。