「清風匝地」(せいふうそうち)の意味:清々しい風が地をめぐる。理想的な禅の境地を示す言葉。

清風匝地(せいふうそうち)

清風(せいふう)地を匝(めぐ)る

解説

清風匝地は同じ意味で、清風満地という言い方もあるので、匝地の部分は「至るところにある」という意味になります。清風は、禅の大好きな表現で、

のように頻繁に用いられます。

清々しい風

清風はそのまま清々しい風のことで、つまりこれも禅が好む無心(意図がない)・無着(執着がない)で形のない有様を現しています。

つまり理想状態の言い換えでもあり、「清々しい心地のよさは、天下どこにでもあふれている」という清光いずこにかなからんとも同義として捉えることできます。

颯爽としているさま

清々しい人はどこにでもいると捉えることができますが、禅は自力の宗教ですから、清々しい人にはいつでもなれると解釈するのが本義かと思います。
イライラしたり、腹を立てたり、企んだりせず、まさにどこ吹く風といったようにこだわらずに生きているさまが、清風満地です。

清風匝地の使い方

  • すっきりとして気持ちのよい風を感じる季節の言葉
  • さわやかな別れ・旅立ちの言葉

別角度では異文化交流に際して

匝地は、満地とも言い換えられ、この部分にフォーカスすると世界中どこにでも清風は吹いているとなりますから、千里同風という別の禅語と近い意味になってきます。清風匝地は、多国籍、さまざまなバックグラウンドの人との交流の場にもフィットするかと思います。