「清流間断無」(せいりゅうかんだんなし)の意味:とどまることなく流れ続けろ

読み方と意味

清流(せいりゅう)間断(かんだん)無(な)しと読みます。意味はそのまま、「清らかな川の流れは、ある時止まったりしないし、淀んだりしない」ということです。

禅における意味

禅では、継続を重視します。継続と言っても「毎日続ける」というよりもさらに深刻に「全瞬間続ける」ことを重視します。この一瞬たりとも寸断しない継続性を、川の流れの例えから引き出している禅語です。

何を継続するのか

禅の願うところは、「自分が仏であると気がづくことと、そのように振る舞うこと」です。禅では、この「仏らしくあること」はいつでもできることであり、また同時にいつでもそうでなくなってしまうと考えます。厳しい修行を続けると仏になれるとは考えず、一瞬一瞬が大事であると考えます。したがって、禅の継続するべきと考えることは、仏らしくあることの継続ということになります。

今、この瞬間を大切にすること

禅は、「今、この一瞬」に集中することを求めます。昨日までできていたかどうか、明日できるようになる、こういった過去や未来を考えることを妄想として退けます。厳しいようにも思えますが、今すぐにできることから安心を得られます。

すぐに誰でもできるという便利で実践的な志向

いつでもだれでも仏になれる(成仏)という考え方は、言ってもみれば気軽で簡便、シンプルでカジュアル、日常志向の思想と言えます。まさにこの部分が禅の本質であり、シンプルな造形、端的な表現、諸分野への禅の応用は、この原理に基づいています。常に仏であり続けること=清流無間断です。

どう実践するのか

意識せずともできていたかもしれないという気づきから考える

誰でも仏になれるという考え方は、時に「私も仏であった瞬間はあったはず」ということの気づきにもなります。清流間断無は、その瞬間の再現と継続を願う禅語と捉えることができます。禅では究極的には“落ち着いた呼吸”を今すぐ実践することに収斂させていきます。つまり、今仏になりたければ、「ゆっくり深呼吸すればよい」というまったく平板な答えになります。重要な点はこれを知ることではなく、これを行うこと、そして継続することにあります。

呼吸の次は

呼吸と並行してまず姿勢を正すということがあり、次に歩くこと、食事をすること、清掃することなど、単純な動作や作業がこれに続きます。

まとめ

ごく簡単な事実、「今仏になりたければ、ゆっくり深呼吸すればよい」を受け入れて実践すればすなわち成仏、すなわち悟りです。知っているだけでは悟りではありません。また止めてしまっては悟りでなくなってしまいます。川の流れが絶え間ないように、健やかな呼吸で安心して生きてください。