なぜ禅でクリエイティブになれるのか

今日は禅と創造性について考えてみたいと思います。

伊藤若冲の胸の内

伊藤若冲の人気が年々高まっています。海外の評価も高く、国内でもアートシーンでもファンを標榜する人が増えていると思います。具体的な絵の魅力は専門家や皆さんの感性に委ねますが、ここでは、若冲の精神世界を少し探索してみたいと思います。

退職世代に勇気

伊藤若冲が絵を本格的に始めたのは40代。今より寿命が短かった江戸時代のことを考えると、今でいう60代くらいの感覚だったかもしれません。実際、家業を弟に任せて、絵に専念した若冲は、退職してやりたいことを存分にやろうという退職世代と重ねられるかもしれません。もちろん、若い時から好きで絵を描いたり、見たりということはしていたのですが、尾形光琳も本格的な創作活動の開始は遅かったですし、仙厓の創作は60代からということで当時としては後期高齢者のような年齢から優れた禅画を描き残しています。 いつが遅いということはありません。こうした江戸時代の優れたアーティストたちの略歴は、現在の退職世代で何かに打ち込んでいる人たちを大いに勇気づけるものと言えます。もちろん、そうしたシニア世代のほとんどの人は、一世一代の作品を作りたいという思い出、創作させているわけではないと思います。それでも、こうしたエピソードを聞くと、元気が出てきますよね。

アーティストの禅者

若冲の精巧な筆さばきには大いに魅了されますが、その基礎には実は禅が流れています。彼は禅寺で修行を積んでおり、おそらく参禅もして師家の導きを得て、あくまで仏道の表現としてあの精巧な自然画を書いていたわけです。若冲のように禅の修行を得てそれを、そこで得たものを自身の創作活動で表現したという人は多くいます。
  • 世阿弥
  • 雪舟
  • 千利休
  • 松尾芭蕉
  • 横山大観

禅らしいアートとは

かなり時代横断的にビッグネームを並べてみましたが、何となく共通する作風も見えてくる気もします。作風としては素朴・枯淡を旨とするといった感じですが、もっと重要なことは、彼らがその分野の樹立者や改革者であったということです。禅の本質の一つは、前例や慣例の踏襲に大いに疑問をいただき、それを検証するところにあります。 彼らは自分が退治する分野において、それまでの決まり事や方法論を破壊的に検証し、その本質はこうではないかと仮説を立てて実際にカタチにし、世にそれを提示しました。それが当世の人にとって大きなインパクトになったことは当然であり、また今日においても我々に強烈な印象を与え続けてくれるわけです。

いかに不朽の名作を作るか

それぞれの分野の大家となった彼らには、彼らの与えたインパクトに見せられ、彼らの手法を自分のものにしようという人たちが現れ、その方法論が体系化され、それが前例、慣例、決まり事として確立していきます。彼らも禅も、こうした動きを嫌いますし、その毛嫌いが彼らを大家にせしめたと言えるわけですが、なかなかこの点を理解する追随者は現れません。彼らは彼らを破壊する創造者を待っているのです。 この精神はとても大切なのですが、このマインドセットの一部ないし全体を禅は彼らの心の中で基底し続けたと言えます。禅は地味で長期的でしぶとく目立ちづらい感もありますが、そうした特質は、作家に長期の人類の審判や美術批評に耐えうる作品制作を可能にさせます。実際、若冲の絵の多くは、禅寺に掲出するために作られました。ルネサンス芸術が教会での掲出を前提としているように、優れた芸術は時に、宗教的意義を土台に不朽の名作となるわけです。