「絶学」(ぜつがく)の意味:学ばないことを大切にする禅語は、21世紀のアンラーニングと同じ考え方

絶学

ぜつがく、と読みます。

意味は「学びを断つこと」、勉強しないことです。

勉強はとかく奨めるものですが、勉強するなとはどういうことなのでしょうか。

学ばないことの意義とは

一般には学習することは重要と考えられています。

同じ失敗を繰り返す人は馬鹿と言われますし、自分の失敗どころか、先例の失敗にも学ぶというのが、賢い人の態度と考えられています。

これに対して、禅では「絶学」と学ばないことを時に重視します。

学ばないことは最近では教育やビジネスのシーンで重視されつつあります。

一般的にはアンラーニングという言葉が使われます。

アンラーニング(unlearning)
自分の中に蓄積された知識や形成された価値観を見直して消却していくことで、新しいものを取組み、再構築していくこと。これにより、これまでの延長線上にない発想、創造力、発見が実現するとされる。「学びほぐし」や「学習棄却」と訳される。

アンラーニングが注目される背景

1.創造性や新規考案が重視されるようになった

これまでと違う何かをしようとしても、これまでのやり方や考え方を学習していては、新しいことが生まれてきません。

むしろ、学習したことを減らしていった方が、創造力の余地が生まれるという考え方です。教育現場でもビジネスシーンでも創造性は重要なキーワードになっていて、そこでアンラーニングに注目に集まるようになりました。

ビジネス(新規事業創出、起業))におけるアンラーニングの重要性
https://www.youtube.com/watch?v=7t-jFfmQRHM

2.コンピュータの学習速度が速すぎる

コンピュータによる企画学習、いわゆるAIによる情報処理が早すぎて、人よりもはるかに優れた学習が機械によってなされるようになりました。

この時に、人にできることは、学習はコンピュータに任せておいて、何をコンピュータに任せるのかを決めること、考えることになっていくという考え方です。

この時、人に求められるのはこれまでと違うフレームワークで考えることであり、そうでなければコンピュータに任せておけばよいということになります。

すなわち人は、学習速度を機械と競うのではなく、学習棄却していくことで、人とコンピュータの役割分担をしていけばよいという考え方が成り立ちます。

いわゆるシンギュラリティ後の世界における人の生き方であり、そのあり方がアンラーニングであり、絶学であるというわけです。

シンギュラリティ(技術的特異点)
1台のPCが人間の能力を超える時。
人工知能が人間の能力を超える時点。技術的特異点。2045年に到来すると言われている。https://itmanabi.com/singularity/

新しくて古いアンラーニング

絶学は、学習棄却というよりも学習放棄といった態度ですが、2045年に向けた議論と、古い禅の世界が近しい内容を言っているというのは興味深いことです。

禅は元々、教外別伝・不立文字ということで、経典による学びを否定しています。

乾屎橛という言葉もあるように、人の経験に学ぶこともないと考えます。冷暖自知という言葉もあるように、自分の体験を最重要視します。(そうして自分自身の自信を確立していくことが禅の目的です)

ある部分でコンピュータには負けるけれども

絶学はこのような禅の基本思想に立った言葉で、体系的・文章的・前例踏襲的学習を否定しています。

古い思想ですが、人類未踏のシンギュラリティ時代には、改めて重要になってくるかもしれません。

つまり、コンピュータは、体系的で記述的な学習データ処理が得意であり、人間よりもその点においては賢くなっていくことがほぼ確実だからです。

非体系的・体験的・飛躍的な仕事こそに人間に与えられたヘッドワークになっていくということかもしれません。

まとめ

シンギュラリティの世界はどうなるか分かりませんが、世界というのはダイナミックでどんどん変化ことは事実です。

どんどん変化しているから、AIによってそれは加速していくから、硬直的で長期の学習はリスクでしかないということもおよそ事実といってよいかと思います。

この時、増やしていく学習から、棄却していく学習というパラダイムシフトは有力な対応方法になるかもしれません。


監修者:「日常実践の禅」編集部
日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。

参考文献:「一行物」(芳賀幸四郎、淡交社)

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