「毒鼓」(どっこ)の意味

その音を聞けば死に至る太鼓。

死を覚悟して初めて生きられる。

「毒鼓」とは意味は毒の塗られた太鼓のことで、ここではその猛毒のためにこの太鼓の音を聞いた人はみな死んでしまうという恐ろしい太鼓を意味します。

太鼓に毒が塗ってあると、なぜその音を聞いた人が死ぬのかという疑問も沸きますが、あくまでそういう架空の話、たとえ話として捉えていただければと思います。

読み方

毒鼓は「どっこ」と読みます。

訓読みして「どくつづみ」と読んでも間違いではありません。

塗毒鼓

塗毒鼓として「ずどっこ」・「ずどっく」と読むこともあります。

この場合は訓読みすることはありません。

出典

出典は『涅槃経』(ねはんぎょう)「邪正品(ぼん)」第九です。

禅語の出典経路

禅語の出典にはいくつかのパターンがありますが、「毒鼓」は禅書でない仏教典から取り出した言葉になります。

  1. 禅書に由来するもの
  2. 詩句から取り出したもの
  3. その他の仏教典や故事成語から取り出したもの
それゆえに、宗派によってこの言葉の解釈は大きく変わってきます。

読み下し文

たとえば人ありて、雑毒薬を以ってこれを用いて太鼓に塗り、
大衆の中において、之を撃ちて声を発(いだ)さしむるが如し。
心に聞かんと欲すること無しといえども、
之を聞けば皆死す。

意味

例えばある人がいて、太鼓を毒をつけて塗り、
その太鼓を人々の中で打ってみるのと同じことだ。
聞こうと思っていなくても、
これを聞けば皆死ぬ。

解説

「毒鼓」が何を意味するのかについては涅槃経の続きを読む必要があります。

読み下し文

是の大乗大般涅槃経もまたまた是の如し。
在々処々の諸行の衆中、声を聞く者あれば、
あらゆる貪欲・瞋恚・愚癡を悉く滅尽する

意味

この涅槃経も同じことだ。
社会で生きる人々のなかで、涅槃経を聞く人がいれば、
その人の貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)をことごとく消滅させる

「毒鼓」はお経のことでした

上記のとおり、毒鼓は涅槃経つまり、お経のことだとはっきり言っています。

その音は人を本当に殺すのではなく、三毒と呼ばれる煩悩を無くすと言っています。

お経は死に関わるのか

この涅槃経の表現はなかなか過激なものでした。

しかし、これは禅宗においてよく見られる表現です。

2つの事例を見てみましょう。

大死一番絶後再甦

「だいしいちばんぜつごにふたたびよみがえる」と読みます。

悟りの境地に達する間際の、死にきわどく迫るほどの緊迫した状況とそこからの回復を示した言葉です。

死やそこに追いやる「殺」という言葉は禅でも頻発します。

「死」は禅において忌避の対象ではまったくありません。

仏に逢うては仏を殺せ

禅宗では「不立文字」「教外別伝」といってお経そのものを軽視します。

自分で体得することを第一義としますので、お経は毒とも言えます。

仏のみならず、父母、師匠にもあったら殺さなければなりません。

【参考】言葉を捨て去る禅語はこちらから

他人の声は毒鼓かもしれない

簡単にいうと、自力を重視し、自己の自由自在を目指す禅は、自分の外側からやっていく権威や価値観、習わしといったものを振り払う必要がある、という意味で仏であっても自己を優先しリスペクトしすぎてはならないという考え方です。

自分の外に真理を見出して、それを無条件に受け入れるようなことになるとどうにもならないというわけです。

【参考】人のことは気にするなという禅語はこちらから

珍しい音の禅語

禅は常に身体的ですが、音にまつわる禅語というのは数としては多くありません。

それゆえに貴重な禅語とも言えます。

力強い語感

太鼓の力強い響きが肚に伝わってくるような禅では珍しい聴覚的な禅語です。

毒という言葉の強さや、「どっこ」という日本語の語感も力強く、禅の野太い宗風に合う言葉だと思います。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

その音を聞けば死んでしまうという毒鼓についてみてきました。

時には「死」と対峙してみることもそれほど悪いことではありません。

今日も良い一日をお過ごしください。

死の覚悟が、生を生き生きとしたものに変える
監修者:「日常実践の禅」編集部 
日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。

引用・参考文献:
・『一行物』(芳賀幸四郎、淡交社)
画像の一部:
・「pixabay
・「photoAC

編集部コラム:音を実際に使ってみる

禅語は具象的だったり、身体的であったりすることが多いので、この点をヒントに実際に音を活用して自分の心を整えてもよいかと思います。

何かの音や音楽を自分の毒鼓にしてもいいかと思います。

座禅おりん

座禅おりんとして、自分を殺す作業に入る前のおりんの音も、毒鼓になるかもしれません。