一雨潤千山(いちう せんざんんをうるおす)の意味:恵みの雨を少しでよい。恵みの雨は自分で降らせる。
一雨(いちう)、千山(せんざん)を潤す、と読みます。
日照りの続いて乾ききった山々に一雨降って、草木が生命力を取り戻す様子を現した言葉です。
もちろん、そうした情感あふれる風景を示すこの語には含意があり、ただ雨、水の有難さを示す言葉ではありません。
雨は慈悲
千山は、我々が生きる実社会を示しています。雨は、慈悲と捉えればよいかと思います。
(仏教では、衆生に恵みをもたらす釈尊の教えということになりますが、上記の理解で十分かと思います)
慈悲、つまり思いやりというものがなければ、まったく世知辛い、経済的な交換の社会、唯物論的な世界になってしまいます。乾ききった人間関係だけになってしまいます。それを変えられるものは、追加的な経済的供与や物理的拡充ではなく、ただ慈悲であるということをこの語は言っています。
どれほどの努力や負担を強いられるものでもなく、ただ他人を大切にするという心持ちがほんの少しあれば、世界が変わると言っています。
実践を考える
一雨という小さな存在が、大きな千山という対象に大きく働きかけるというところがこの語のポイントです。実践すべきは大河のような慈悲ではなく、ほんの一雨の思いやりで十分世界を潤すことができると言っています。
ですから、その自分ができる一雨を探していけばよいわけです。ごくわずかでも構わないというところがミソで、これにより自分事化できます。そうでないと、社会が悪い、為政者が悪い、価値観が悪い、グローバル資本が悪いと自分以外への責任転嫁、陰謀論、傍観主義に陥ってしまいます。
禅の基本は、徹底自力です。自灯明などの言葉をご参照ください。
ちょっとした目配り、気配り
- 声がけ、挨拶
- 微笑み、冗談
- 手紙、訪問
特に自分への便宜に通じるともないこうした言動が、自分の世界を変えるとこの語は言っています。自分なりの一雨を自分の世界に降らせてみてください。