也太奇の意味「なんてすばらしいんだ!」

(やたいき)
昨日までと同じ世界が違って感じられたときの禅語
昨日までと同じ世界が違って感じられたときの禅語
「也太奇」は読みづらいですが、「やたいき」と読みます。
「なんと不思議なことだ」という意味ですが、どんな不思議に際しても使う言葉ではありません。 ...
「絶学」(ぜつがく)の意味:学ばないことを大切にする禅語は、21世紀のアンラーニングと同じ考え方

ぜつがく、と読みます。
意味は「学びを断つこと」、勉強しないことです。
勉強はとかく奨めるものですが、勉強するなとはどういうことなのでしょうか。
学ばないことの意義とは一般には学習することは重要と考 ...
「唯嫌揀択」(ゆいけんけんじゃく)の意味:えり好みをやめて、やることに集中しよう。評論よりも行動を

吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
読み方と意味読み方ゆいけんけんじゃく、と読みます。唯だ(ただ)、揀択(けんじゃく)を ...
「花看半開」(はなは はんかいをみる)の意味とは:何事もほどほどに、不完全に生きる美しさ

「花看半開」は、「花は半開をみる」と読みます。
出典は菜根譚で、意味は「何事もほどほどにやるのがよい」という文脈で例えとしてこの語は用いられています。
また、別な意味として、花は満開でなく、少し開いたくらいの頃 ...
左右逢源の意味「左右いずれも同じところから始まる」

どちらに行っても道を踏み外さない悟りの境地
(さううほうげん)
(さううほうげん)
「左右逢源」は儒教由来の悟りの境地を表わした言葉で、禅の文脈でも同じ意味で用いられます。
どうすればよいか、私とはどうあるべきか、そんな問いに答えてくれ ...
「知足」(ちそく)の意味::満たされていることを知ること。満たされない人を餓鬼という

知足は、「ちそく」と読みますが、「足るを知る」と呼んでもよいかと思います。意味合いとしては、「ほどほどで満足せよ」という解釈が一般的です。つまり、「多くのものは100点満点とはいかないから、ほどほどのところで十分だと思うことが幸せにな ...
百花為誰開(ひゃっかたがためにひらく)の意味:何のためでもなく、ただ無心でやり切る

禅語「百花為誰開」の意味について解説です。
花は誰のために咲いているのか。
禅問答のような問いかけですが、いわゆる反語で答えはもちろん「花は誰のために咲いているのではない」ということになります。
出典