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(やたいき)
昨日までと同じ世界が違って感じられたときの禅語

「也太奇」は読みづらいですが、「やたいき」と読みます。

「なんと不思議なことだ」という意味ですが、どんな不思議に際しても使う言葉ではありません。 ...

絶学

ぜつがく、と読みます。

意味は「学びを断つこと」、勉強しないことです。

勉強はとかく奨めるものですが、勉強するなとはどういうことなのでしょうか。

学ばないことの意義とは

一般には学習することは重要と考 ...

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吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

読み方と意味読み方

ゆいけんけんじゃく、と読みます。唯だ(ただ)、揀択(けんじゃく)を ...

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「花看半開」は、「花は半開をみる」と読みます。

出典は菜根譚で、意味は「何事もほどほどにやるのがよい」という文脈で例えとしてこの語は用いられています。

また、別な意味として、花は満開でなく、少し開いたくらいの頃 ...

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どちらに行っても道を踏み外さない悟りの境地
(さううほうげん)

「左右逢源」は儒教由来の悟りの境地を表わした言葉で、禅の文脈でも同じ意味で用いられます。

どうすればよいか、私とはどうあるべきか、そんな問いに答えてくれ ...

腹八分目という知足の考え方

知足は、「ちそく」と読みますが、「足るを知る」と呼んでもよいかと思います。意味合いとしては、「ほどほどで満足せよ」という解釈が一般的です。つまり、「多くのものは100点満点とはいかないから、ほどほどのところで十分だと思うことが幸せにな ...

百花為誰開

禅語「百花為誰開」の意味について解説です。

花は誰のために咲いているのか。

禅問答のような問いかけですが、いわゆる反語で答えはもちろん「花は誰のために咲いているのではない」ということになります。

出典