泥仏不渡水 神光照天地の意味「大切なのはモノではない」

「泥仏不渡水 神光照天地」はそれぞれ単独に使われることの方が多い禅語です。
泥仏不渡水は「金仏不渡炉」 「木仏不渡火」と合わせて趙州の三転語として知られている偶像崇拝を否定 ...
「言語道断」の意味:言葉の限界を知って、言葉を断ち切ろう

ごんごどうだん
意味今日は「ひどいありさまで論外である」という意味で使われることが多いです。
しかし、本来は「仏教・禅の“道”を求めるにあたって、言語は邪魔になる」という意味です。 ...
「着衣喫飯」(じゃくえ きっぱん)の意味:ほとんどの人の幸せを確定させる魔法の言葉

じゃくえきっぱん、と読みます。
意味は服を着ること、ごはんを食べること。
意味・当たり前を当たり前に行うこと、
・自分のことは自分でやること、
・最低限のことをしっかりやるこ ...
「不住青霄裏」(せいしょうりにとどまらず):得たものにこだわらず、青空のように自由に!

青霄裏(せいしょうり)に(住)とどまらず、と読みます。
意味青霄は青空、大空のことで、ここでは師匠の教えを受けて得られた境地のことを指します。
その境地は大空のように爽快なわけですが、その師匠の教え ...
「今、ここ」とは:マルチタスクを止めよう!1点に集中して、スマホながら禁止!悩みを吹き飛ばす言葉

禅の基底を成す言葉に「今、ここ」があります。意味は説明するまでもありませんが、あえて捕捉するなら「今、ここでできることをやり切ろう」という意味になります。
なぜ、「今、ここ」が大切なのか禅の考える「今、ここ」は幾つか特徴が ...
「担板漢」(たんばんかん)の意味:人はだれしも視野を狭める板を担いで生きている

「たんばんかん」と読みます。板をかつぐ男という意味です。読み方としても「板をかつぐ男」でもよいかと思います。
意味大きな板を右肩に乗せて担ぐと右側の視界が遮られます。左肩に乗せれば、左側の視界が遮られます。もの ...
「活祖」(かっそ)とは:生き仏という意味。一体どこにいるのか。あなたが生き仏になる!?

「かっそ」と読みます。生きている仏様という意味です。一般には成仏(仏に成る)というと死ぬことを意味しますから、生きている仏というのは矛盾する言葉のように感じます。生きている仏とはどういうことなのでしょうか。
何を伝え ...「清光無何処」(せいこういずれのところにかなからん)の意味:清き光はどこにあるのか、至るところにあるではないか。刮目せよという禅語

清光無何処は「せいこういずれのところにかなからん」と読みます。虛堂録には上の句があって、「此夜一輪満、清光何處無です。上の句は「このよいちりんみちて」です。
続けて訓読みすると、「この夜一輪満ちて、清光いずれの所 ...
「この身即ち仏なり」:自分自身が仏であると信じること、これを悟りという

禅の最大テーマの1つが「自信」であるととは、こちらで確認しました。
この自信を持つためのヒントとなる言葉に、「この身即ち仏なり」があります。つまり、自分自身が仏であるという意味です。
実際、仏教というのは、自分 ...
忘筌(ぼうせん)の意味:「釣り竿を忘れました」の真意とは

「忘筌」(ぼうせん)とは荘子外物篇に出てくる言葉です。
筌は魚を取る道具のことで、魚を取ったら釣り竿のことは忘れてしまうという文脈で出てきます。
現代的な解釈では、目的こそが重要で手段のことなど忘れてしまえ、と ...
両忘(りょうぼう)の意味「物事を比べて考えるな!」

禅の世界では多用される禅語のなかでも有名な一言です。例えば、明治時代の山岡鉄舟らが結成した参禅会は、両忘会と名付けられています。
よく用いられる言葉ではあるものの ...
無礙(むげ)の意味:さまたげるものがない状態を示す禅語。自分自身を不自由にしているものとは何か

難解な禅語、「無礙」(むげ)を考えてみたいと思います。そっけなく扱うことの意味で「ムゲにする」といいますが、この場合の漢字は「無下」でまったく意味が異なります。「礙」が見慣れない漢字なだけに、直感的に理解しづらいところが無礙の難解さの ...
達磨の禅語「不識」(ふしき)の意味:「知らねーよ」。思い切って開き直ってしまおう!使い方と例文付き

不識は「ふしき」と読みます。“知らない”という意味ですが、ニュアンスとしては「しらねーよ」「興味ないよ」といった意味になります。
何について関心がないのかが重要になりますが、その鍵はこの言葉を発した達磨(ダルマ)のエピソー ...
「無隠」(むいん)の意味:仏の教えは、一切隠すところがなく明らかであるという禅語

禅語「無隠」について解説していきます。無隠は「むいん」と読みますが、「隠すところ無し」と訓読みしても差し支えありません。正々堂々隠すところなしという意味ですから、そのままこそこそ隠し事をするのは止めようと理解しても問題ありません。しか ...
「不立文字」(ふりゅうもんじ)の意味:言葉で伝えられないし、言葉で理解できないものがたくさんあるという禅語

不立文字はふりゅうもんじと読みます。
禅の基底をなす言葉で、「文字は役に立たない」という意味になります。すなわち、ひたすら体験・体得せよということになります。逆に人に教えるにも幾ら説いても無駄だ、ということになります。
大憤志(だいふんし)

志を持って、決して退かないこと。これなくして、ことは得られないと。ことを得るまで続ければよい。志といってしまうと精神論のような話になってしまいがちである。意思が強い、弱いとか。そうではなくてあくまで結果論なのではないだろう。得られるま ...
破襴衫裏(はらんさんり)に清風を盛る

襴衫(らんさん)は衣服で、破襴衫とはすなわち、擦り切れた服。その裏地に清風を詰めて颯爽といく。ぼろを来て冬の日を行く。ぼろの切れ目からは寒風が入り込み、身震いするほどの寒さ。見た目にも寒々しい。しかし、この人は特に寒いようでもなく、ま ...
動中の工夫は静中に勝ること百千億倍

演劇をやっている役者の方の話だ。良い演技には、心から入るアプローチと体から入るアプローチがあるそうだ。心から入るアプローチは、いわゆるその人のなりきるというもので一般的な演技手法の理解に沿うものと思うが、これはよくないのだという。なぜ ...