「担板漢」(たんばんかん)の意味:人はだれしも視野を狭める板を担いで生きている
読み方と意味
「たんばんかん」と読みます。板をかつぐ男という意味です。読み方としても「板をかつぐ男」でもよいかと思います。
意味
大きな板を右肩に乗せて担ぐと右側の視界が遮られます。左肩に乗せれば、左側の視界が遮られます。ものごとの一面しか見えていないような状態を指す言葉です。
いつ使うべきか
過熱した議論の場で:ものごとには常に両面ある
人は何かしらの考え方に捕らわれて、何かしからの板を片方の方に乗せて歩いているような状態とも言えます。自信を持って担いでいるその板(考え)を肩から下ろしてみてはどうかという言葉として捉えることができます。端的にいえば、人の話を聞く余裕を持てといったところでしょうか。
1面だけを捉えて多くを語るな
長い板を担いで片側の視界を遮られた状態で、周りを見渡そうとすれば、板が周囲に振られて周りは危険にさらされます。何かしらの考え(板)を担いで、執拗に論じれば、周りは迷惑です。それはものごとの1側面しかみていないからです。実際には周りにも長い板を担いだ人が何人もいて、皆で板を振り回すようなことが起こりますから、公論とはおよそ傍目には楽しいですが、中身のない論争になりがちです。
全力で物事に取り組んだ後で:
一般的には考え方を捕らわれた人を揶揄する言葉ですが、解決策が板を下ろせでは、日常生活は完遂できません。むしろ、生きている限りはだれもが担板漢としてなりません。そういう意味では、自分が担板漢であることを認識し、しかし鋭意板を運び、その上で担いでいる板によって視界が遮られていること、振り回せば危険であることを認識せよとこの語は言っているのかもしれません。
板を下ろすことも大事
長い板を担いで片側が見えない状態の解決策は、板を地に下ろすことのほかありません。しかし、時に人はうまく行かないときに板(考え方や知識)をもう1枚増やしてしまおうとすらしてしまいます。板を下ろして周りを見渡すことが重要です。
しかし、板を運ばなければならない
とはいえ、日常生活では何かしらの考え方や知識を持って、仕事やら雑事やらに取り組まなければなりません。むしろものごとへの対応にあたっては、考えや知識が重要と言えます。ただ、「板を下ろせ」で周囲を見渡し客観性をもっても、評論家でしかなく、実際に板を担いで持っていて用事を済まさなくてはなりません。
まとめ
誰しもが何かしらの板を担いで生きているわけですが、安直に板を下ろせでは日常生活を全うできませんし、むしろ板は運ばなければなりません。むしろ誰しもが担板漢としてせっせと生きるべきです。全力の日常実践です。全力で自分の役割を果たしつつ、それに伴う視野狭窄を認識しよう、そんな言葉の理解でよいかと思います。
おまけ:抽象的論考として捉えるならば
両面を見てそれを乗り越えろという意味で捉えることもできます。これは禅の得意な考え方で、別の禅語、「両忘」などの語に端的に現れます。