座右の銘として用いられる「而今」(じこん)の意味:

今だけしか考えない。過去を振り返らず、未来を恐れず。

禅語「而今」の意味や使い方を確認していきます。

日常用語ではないため、出典や考え方の背景も確認していきます。

読み方と意味

読み方

「じこん」または「にこん」と読みます。

どちらでも構いません。

意味

而はあまり使われない字ですが、一文字では通常、

 (ジ)

と読みます。

「そして」「すなわち」「それでも」の意味です。

“今”は、いうまでもなく「過去とも未来とも言えない時」のことですから、すなわち“而今”の意味は、「過去の話や未来の不安はさておき、今に集中しよう」となります。

デスクワークや創作活動など、何かを集中してやろうという場面にぴったりで、座右の銘として用いられることの多い言葉です。

出典

曹洞宗の開祖道元の『正法眼蔵』です。

道元は鎌倉時代の禅僧で、厳しい修行で有名な永平寺を開き、大著『正法眼蔵』のほか、ひたすらに座禅に打ち込む「只管打坐」という言葉を残しました。

一方で、料理・食事のとり方をまとめた「典座教訓」や美しい詩歌なども多く残し、多彩にして力強い生き方をした禅僧です。

原文:『正法眼蔵』(第十 大悟)

いはくの今時は、人人の而今なり。

令我念過去未来現在いく千萬なりとも、
今時なり、而今なり。

人の分上は、かならず今時なり。

「令我念過去未來現在」のところが読みづらいですが、「我をして過去、未來、現在を念ぜしむ」と読みます。

意訳

言っているのは、人それぞれの「すなわち、この一瞬」ということだ。

私が過去・未来・現在を幾千万も考えてみても、今が重要だ。

「すなわち、この一瞬」だ。

人の生き方というのは、今が重要だ。

『正法眼蔵』

なぜ、今にフォーカスするのか

禅では、過去や未来、そして大雑把な現在をも否定します。

「心不可得」

  1. 過去心不可得(かこしんふかとく)
  2. 現在心不可得(げんざいしんふかとく)
  3. 未来心不可得(みらいしんふかとく)

この瞬間以外はすべて妄想・邪念

禅では、今やっていること以外はすべて妄想と切り捨てます。

禅における妄想

「莫妄想」(まくもうぞう)はこちらをご確認ください。

「妄想する莫れ(なかれ)」という禅語があります。

禅における邪(よこしま)

何かに集中しないことも、これも邪(よこしま)として認めません。

「思無邪」(おもいよこしまなし)の意味はこちらをご確認ください。

この世はすべて夢

禅ではすべてが「夢」とも考えます。

禅は人生は「夢」

  1. 人生畢竟夢(じんせいひっきょうゆめなり)
  2. 人生夢也 故護惜此一剎那(じんせいゆめなり ゆえにこのいちせつなをごしゃくせよ)
  3. 人間是非一夢中(じんかんぜひいちむのなか)
  4. 弥勒夢観音亦夢(みろくもゆめ かんのんもまたゆめ)

唯一絶対的なもの

それでは、すべてが夢であり、妄想・邪念であるならば、何か真実といえるものはないのでしょうか。

何かにつけ否定的な禅は、実は未来や過去だけでなく、文字や学び、物理的なモノなど色々なものを否定します。

そんな禅が真実と考えるのが、「今」です。

例えば食事をしているのであれば

  1. 今、ご飯を食べている私(いわゆるマインドフルネス)
  2. お茶を飲んで熱いと感じた瞬間(いわゆる冷暖自知)

こういうものに絶対的な自己の基礎を置きます。

深淵で高尚な議論の結論にしては、あまりに卑近な結論に思えます。

しかし、禅の真髄とはこのような当たり前の結論だったりすることが多いです。

禅は「自分」から始まる

ご飯を食べている「私」、お茶の熱さは確実にあると考えるのが「自信」です。

「自分」から出発する禅

自分自身を禅では時に「一」と言い換えたりします。詳しい解説はこちらをご覧ください。

夢ならば、夢だからこそ今を生きる

人生は夢だからこそ、最も確実な今の自分に集中していくことになります。

本当に過去も未来も捨てる

ライターの美咲まき子さんが取り組んでくれている「捨て活」では、過去の思い出である「卒業アルバム」や、将来使うかもしれない小物たちも、「今使わない」という基準でドンドン処分してスッキリ!生活を実現しています。

座右の銘としての「而今」

而今は、読みづらく、また直感的に意味を理解しづらいため、日常会話のなかでは用いられない言葉かと思います。

会話の中で「じこん」といってもほとんど通じないかと思います。

しかし、座右の銘や茶掛の言葉としては、ほどよい難解さ・高尚さもあって、時に用いられます。

「今、現在に集中する」という意味は、実践的で禅の「今、ここ」を大切にする考え方を端的に表した言葉として度々用います。

付け加えるなら、「過去を全て忘れました」「先のことを案じることをやめました」ということで、潔い心地よい生き方を表わす語として自分に投げかける言葉になります。

近い意味の禅語

「今」に集中する禅語

  1. 不期明日(みょうにちをきせず)
  2. 朝聞道夕死可矣(あさにみちをきかばゆうべにしすともかなり)
  3. 日々是好日(にちにちこれこうじつ)
  4. 滴水滴凍(てきすいてきとう)
  5. 山中無曆日(さんにゅうれきじつなし)

不期明日(みょうにちをきせず)

千利休から数えて茶道3代目となる千宗旦(せんのそうたん)と参禅していた清巌和尚のエピソードに端を発するのがこの言葉です。

文字通り、「明日のことを考えない」という意味です。

禅に深く帰依していた宗旦は、利休の死刑以降続いた厳しい社会的地位にくじけず、「乞食宗旦」と言われながらも、かえってその境遇で禅味を育くみ、茶禅一味の家風確立に一生を費やしました。

朝聞道夕死可矣(あさにみちをきかばゆうべにしすともかなり)

出典は『論語』ですが、禅でも使うことがあります。

論語では学問探求の心構えとして用いますが、禅では「而今」と同じ意味で用います。

日々是好日(にちにちこれこうじつ)

出典は禅書『雲門広録』です。

一日一日をよき日として過ごすこと、すなわち明日のことは考えません。

数ある禅語のなかで、最も広く知られている禅語です。

滴水滴凍(てきすいてきとう)

『伝灯録』『碧巌録』にある言葉です。

「一滴一凍」ともいいます。

しずくが一滴落ちると、たちまちにそれが凍るさまを示す言葉です。

1日よりもずっと短い、瞬間瞬間に焦点を当てた言葉です。

山中無曆日(さんにゅうれきじつなし)

山の中の隠居生活を示す言葉ですが、「元々大自然にはカレンダーなんてない。今日を生き抜くのみ」の意で用いてもよいかと思います。

座右の銘として使える禅語

禅語に興味を持たれた方はこちらもチェックしてみてください。

座右の銘以外での使われ方

ここまで、「而今」が座右の銘として使いやすいことが確認できました。

しかし、この言葉はそれ以外の場面でも使うことができるかと思います。

それでは、具体的な場面を考えてみましょう。

悲しみからの再起にあたって

辛い経験からの脱却に当たって、すでに起きた過去を何度思い返してもしょうがないじゃないかという含意が而今にはあります。

この意味をそのまま活かして、自分の不幸からの再起や人を励ます場面で、「過去を振り返るのはひとまずやめて、いまやるべきことをやろうよ」と今に集中するという最高の気分転換の一語として用いることができます。

再起の一歩を促す言葉として
まず今日1日でできることが限られていて、わずかではあるけれどもそれに集中するという作業はとても大切です。
机の片付け、料理などの小さなことに全力を傾けてもらうよう、計らいましょう。

多難な前途に際して

大変な難事に直面して、やらなければいけないことは山積し、解決しなければならない課題が溢れている、そういう状況でため息をついていてもしょうがないじゃないか、ひとまず眼前のことを片付けようというのが、而今の意味です。

1000も10000もあるやるべきことを前に、それを数えていても整理していても1つも片付かない、今とりあえず1つ片付けよう、そうすれば1歩前に進めるし、それ以外の方法はないと考えます。

現実対峙を促す言葉として

うまいことやってまとめて片付けるようなことを考えない、将来ラッキーがあってあっという間に半分片付くような事態を考えない、なんでこんなことになったのか振り返らないという現実対峙が而今の眼目です。

前途洋々の門出を祝して

見事に大学合格、前途洋洋、勉学に励み、1年生、2年生と順調に進んで、4年で卒業、卒業後は有力企業で活躍し、などとは考えないというのが而今の意味です。

晴れて大学に合格したとして、まずは今日の授業に集中しよう、1年が終わったときのことも次のテストのことも考えない、まずは先生の話をよく聞くことに全力を注ごうというのが而今スタイルです。

お祝いの言葉として

未来の展望が拓けたときの「締まっていこう」の一語として用いることができる禅語です。

日常で実践する

今、この瞬間に集中するとき、その今は短いほど有効です。

つまり今月より今週、今週より今日、今日よりもこの1時間、この1時間よりもこの1分といった具合です。

さらにひとこと

時間が長いほど未来や過去が入り込んできます。 時間が短いとできることがとても小さくなりますので、逆にできるかできないか分からないことが入り込む余地が減っていき、思考よりも実践に集中できます。

一部分に限定する

例えば机の片付け、料理などを上述しましたが、時間が限定されれば、もっと簡単なことになっていき、「実践>検討」が明確になります。

机の片付けではなく、机の上のペン立ての整理、料理ではなく、米を研ぐことといったようにです。

こうしたことが誰でもできることへの集中と充実に繋がっていき、これを突き詰めるのが禅です。

歩くこと、呼吸することといった最小の自律的に行為への集中が、心身の充実感につながるとして重視されます。

1つのことだけやる

いうまでもなく、1つなことをしっかりやることに集中するときに2つのことを同時には行うことは困難になります。

例えば 、

  • スマホを見ながら歩く
  • 新聞を読みがらご飯を食べる
  • 歯を磨きながら、テレビを見る

といったことはよろしくないということになります。

これはよく言われてることで簡単なことのはずですが、実践できていない人も多いかと思います。 

  • 歩くときは歩くことに集中する
  • ご飯を食べるときは食べることに集中する

といったことなのですが、意外と実践が難しいです。

実践のコツ

そうは言ってもなかなか実践できないので、禅では 

歩くときに、姿勢や足の裏の感覚に注意してみる 

といった助言が添えられます。

 姿勢や足の裏の感覚に意識しつつ、スマホを見て歩くことはなかなか困難です。 

禅は日常生活の至るところにある

禅では日常生活のすべてに実践を求めます。

掃除も“今”に集中して行います。

ご飯を食べるときはもっと大変

食事を取りながら、 

・生産の現場や料理の現場を想う

・よく噛んで食べる 

・食べて得た活力で何をすべきか考える

といったことを意識することを求められます。

このとき、新聞を読むというよそ事をしている余裕はないはずです。ご飯を食べることも全力です。

やることを最小限に絞ったのが座禅

ちょっとしたことでも今やっていることに集中することは意外と難しいものです。

「座禅」はただ座って呼吸に集中するというやることを究極までそぎ落とした“而今”実践方法と言えます。

禅問答に挑戦する

多くの禅語は禅問答に由来しています。

興味のある方は挑戦してみてください。

まとめ

揮毫や日常使用するには、なかなか難しい言葉であることをみてきました。

簡潔な言葉でありながら、深い哲学性があること、読みづらさ、会話の中で使って意味が取れない点などがその理由でした。

しかし、精神衛生の維持には極めて有効な日常実践性に富む言葉でもなります。

まずは自分の座右の銘として、実践活用していただくのがよいかと思います。

最後に一言

過去の記憶に縛られず、未来を案じて行動が抑制されることもない、自由自在な禅の境地は「而今」というごくシンプルな禅語の扉から達することができるはずです。

監修者:「日常実践の禅」編集部

日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。

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編集部コラム:短い座右の銘

而今は漢字二文字というごく短い座右の銘として重宝されます。

禅語は一般に短く内容が濃いため、漢字一字でも深い意味を持ちます。

こちらでは座右の銘としてもそのまま使える、禅でよく使われる漢字一字をまとめました。

漢字一字のラインナップ

  1. 「一」:一とは自分自身のこと
  2. 「風」:目に見えない、とどまらないもの
  3. 「月」:禅では悟りの喩え
  4. 「夢」:一切は夢という現実
  5. 「無」:無を強調するのは禅の特長
  6. 「道」:道とはすなわち禅の道
  7. 「雪」:禅は冬の宗教
  8. 「心」:何はなくとも心が大切と考えるのが禅
  9. 「坐」:座禅が“禅”の基本。しかし執着はしない。
  10. 「雲」:消え去る雲に捕らわれるな
  11. 「山」:静寂にして不動
  12. 「花」:何も考えずに生き抜く美しさ
  13. 「茶」:日常生活のメタファー(たとえ)
  14. 「喝!」:最も短いアドバイスの言葉
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