忘筌(ぼうせん)の意味:「釣り竿を忘れました」の真意とは
「忘筌」(ぼうせん)とは荘子外物篇に出てくる言葉です。
筌は魚を取る道具のことで、魚を取ったら釣り竿のことは忘れてしまうという文脈で出てきます。
現代的な解釈では、目的こそが重要で手段のことなど忘れてしまえ、といった含意で捉えることが多い言葉です。
しかし、原典に照らして考えたとき、あるいは茶道でこの「忘筌」を室町時代の人が使った意味合いは全く異なるもので、本来、言葉の要らない交友関係を示す言葉です。
では、まず原典にあたりながら、現代的解釈から見ていきましょう。
はじめに:4つの意味を考えていきます
ここでは「忘筌」の4つの意味を、原典を参照しながらみていきます。
後に行くほど、重要な意味になっていきます。
- 目的を得られたならば手段は関係ない
- 達人は道具を選ばない
- 言葉を忘れ、静かな努力を誓う言葉
- 言葉の要らない境地に達した者同士による、豊かな沈黙の場
いずれの意味で用いても問題ないかと思います。
たった二文字の多くの含意がある点、これも禅語の魅力だと思います。
原典の確認:「得魚而忘筌」から理解する
まず、筌(せん)は竹で作った魚を取るわなのことで、日本語では「やな」に相当するものですが、大意としては釣り竿くらいに理解しておいて問題ありません。
原文
筌(セン)は魚を在(い)るる所以(ゆえん)なり。
得魚而忘筌
魚を得て筌を忘る。
蹄者所以在兎
蹄(テイ)は兎を在るる所以なり
得兎而忘蹄
兎を得て蹄を忘る。
意味
筌(やな)は魚を獲えるためのもので、
魚が獲れたら道具なんてどうでもいい。
蹄(わな)は兎を獲るためのもので、
兎が取れたらその方法はどうでもいい。
筌(せん)は後で出てきますが、言(げん)と韻を踏んだ例えとして出てくるので言葉としては押さえておくのがよいでしょう。
解釈①「魚を得て筌を忘る」
以上のことから意味を導出すると、
「道具という手段は、目的である獲物を捕らえることができたら関係ない」
という含意が導出できそうです。
茶味に欠ける解釈
現代人にはこれでピッタリくる気がしますが、これはプラグマティズムという思想的原理に立った1つの世界観から来る解釈で、茶味に欠けます。
つまり、目的のために手段があるという一見当たり前のようなことですが、これは原因があれば結果が生じるという因果論が前提になります。
しかし、原因によって結果が生じるとは限らないというのが仏教や禅の基本原理です。
頑張ると報われるとか、悪いことをすると天罰が下るという因果論に対して、禅は目的と手段という因果関係ないし二項対立という構図を考えません。
結果が大事、結果を得るために手段は正当化できるというような乱暴な合理主義を禅は取りません。
目的合理主義というプラグマティズムは、仏教の論理とはかなり異なるものです。
解釈②「名人は、道具を選ばない」
この釣り竿を捨ててしまう部分だけを抜き取って禅的に解釈してみます。
ある達人がいて、その極意を得たいという人に対して、
「名人は、道具を選ばない」
「どうやるかは忘れてしまったけど、やり方なんでいくらでもある。魚も大海にはたくさんいる。君は君のやり方でいけ。」
とでもいうかもしれません。
原典の後半にヒントがある
それでは次に、原典の後段を見ていくことにします。
この釣り竿と魚はあくまで例え話であり、実際に何が言いたかったのかというとその抽象的な議論は、先の句の後段に出てきます。
つまり、回答付きというわけです。
それでは荘子の実際の回答をみてみましょう。
原文
言は意を在るる所以なり
得意而忘言
意を得て言を忘る。
意味
言葉も意(本質)を捉えるための道具であるから、
本質が分かれば言葉そのものはどうでもよくなるはずだ。
忘筌が、忘言の言い変えだったことが分かります。
「言葉で”本当のこと”を言い表せるかもしれないけれども、言葉そのものは本来なくてもいいものである」と、いっています。
理解するための手がかりは「得意而忘言」
最も重要な句は、「得意而忘言」であることが分かります。
「茶道含め、技芸やコツ、仕事の要領や物事のやり方というのは、言葉だけでは言い表せないほど豊富な意味合いがあり、それは頭で理解するものではなく、体で掴んでいくもので、言葉はなくてもいい」
という禅の基本原理がここに表現されています。
沈黙を重視し、言葉を軽視する禅らしい含意が明らかになりました。
それでは解釈していきましょう。
解釈③「忘言」を静けさと捉える
以上のことから、解釈としては静かな努力、精進を誓う言葉として用いることができるかと思います。
魚を取るのに道具のあれこれを選んでないでやってみろというのが禅の考え方です。
言葉を軽視して、理屈を語らないという点では茶道の教え方・学び方と重なります。
先の意味と合わせて、「道具のあれこれは気にせず、黙々と努力します」の宣言として、茶掛けの一幅で用いるのもよいでしょう。
静けさは禅の好むところ
実際、静寂をテーマとした禅語は数多くあります。
忘筌の真意は、荘子の最後の一説に表れている
しかし、この荘子の一節にはさらに続きがあります。
この部分がかつての茶人が用いた忘筌の本当の意味ということになります。
原文
吾れ、安(いず)くにか夫(か)の言を忘るるの人を得て
而與之言哉
之(これ)と与(とも)に言わんや
意味
そんなふうに本質を掴み、言葉を捨てた仲間とめぐり合い、
共に語りたいものだ。
このようにこの節ではっきりと、
「本当の達人は言葉が少ないはずであり、そういう達人と語り合いたい」と言っています。
言葉が少ない達人ですから、むしろ会話もあまり弾みそうにありません。
しかし、これはどういう意味でしょうか。
荘子は、互いの言葉のやり取り以上の深い境地を通じ合うことができるはずで、それをやりたいと言っています。
解釈④忘言=無言で語り合いたい
ここまでくればお分かりかと思いますが、茶室の静寂のあり方と、この荘子の言っていることは同じことになります。
茶席は豊富な文脈を携えた空間になりますが、しかしそれをいちいち騒ぎ立てたり論じることもなく、むしろ静かにその空間を楽しみことを旨とします。
忘筌ではなく忘言として理解することで、「意を得た者同士で無言で語り合いたい」という意味を取ることができます。
- 不立文字(ふりゅうもんじ)
- 言語道断(ごんごどうだん)
- 黙(もく)
茶室を「忘筌」と名付けた意図が分かって来る
これに限らず、「忘筌」は掛け軸やご銘としてもよく用いられる禅語かと思います。
小堀遠州の立場に立って考えてみれば、忘筌の含意が「目的と手段を取り違えるな」「道具を選ばない」「静かに努力する」ではピンときません。
「意を得た者同士で無言で語り合いたい」とすることで、茶室に相応しい名前として理解することができます。
無言のうちに達し合った仲間と過ごす茶室に“忘言”の意味を込めて「忘筌」としたならば、意味がよく通ります。
忘言が本懐であるが、オシャレに忘筌とした
以上のことから考えると、茶室は「忘言」でもよさそうです。
しかし、それでは直線的で茶味に欠けるということで、荘子の前の句をとって「忘筌」としたのではないでしょうか。
抛筌斎こと利休は、さらにひねった
利休は同じ文脈で抛筌斎(ほうせんさい)を名乗りました。
忘筌のところをさらにひねって抛筌と、釣り竿を忘れるではなく抛(なげう)つとして興を高めています。カッコいいですよね。
使うシチュエーション
「忘筌」馴染みの薄い言葉ですので、自分自身に対して、或いはごく少数の間で用いるのがベターです。
茶掛け
「忘筌」は当然ですが、茶室にふさわしい言葉です。
他にもある人気の禅語ベスト3はこちらです。
座右の銘
「忘筌」は、座右の銘としても使うことができます。
良き友情や師弟関係を目指して、ぜひ掲げてみてください。
その他、人気の座右の銘はこちらをチェックしてみてください。
まとめにかえて
いかがでしたでしょうか。
忘筌について、荘子の原典を辿りながら、忘言と忘筌の韻を踏んでいるところ、そのたとえ話の本当の意味を探ることで、茶道で使われる忘筌の意味が分かってきたかと思います。
言葉を忘れてしまうという本来の意味を踏まえて茶室に静座してみると、心落ち着いてくることと思います。
これこそ仏道の本道です。
日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。
参考文献:「一行物」(芳賀幸四郎、淡交社)
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もっと短い禅語
禅語は基本的に短いものが多く、「忘筌」はその中でも漢字2字というかなり短い部類の言葉です。
さらに短い漢字1文字の禅語もあります。
「忘筌」がたった2文字でも深い意味があったように、たった一字でも味わい深い意味が生じるのが禅の世界です。
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