禅語「自由」とは:自分次第であるという究極の自己責任を迫る
自由という言葉の意味を考えます。禅の文脈では、臨済録では去住自由、脫著自由といっていますから、自分次第と捉えてよさそうです。「自由」は臨済の最も大切なキーワードの一つですが、徹底自力の宗教らしい考え方で、「何でも自分次第だ」と人を励ます言葉として用いられています。
自由という言葉の間違った意味
強制や束縛を受けずに気ままにふるまえること
これは辞書に出てくるので正しい意味ですが、本来の意味ではないという点で間違っています。
英語から考える
自由の訳語としてはFreedomとLibertyが思い当たります。
Freedomは解放、
Libertyは自主、
と訳すと西周は言っています。自由の意味が気ままに振る舞えることでは、自由の女神(Statue of Liberty)が随分安いものになってしまいます。(参照:自灯明)
素朴な正解
自由は自らに由るので、Self-relianceと訳すというのが、鈴木大拙の考え方です。
自在という近い言葉
自在という言葉は、「思いのまま。邪魔するものがなく思うとおりになること。」として使われています。
しかし、臨済録では三界自在、逸脱自在といっているので、この言葉もまた自分次第という意味で捉えた方がよさそうです。
自分次第という、つまり心の問題
「自分が仏である」と気づくことと、その実践が禅の本懐でした。自由という言葉はまさにこの核心を突く言葉と言えます。禅ではこれを心、体、行動で実現していこうと考えます。ぜひあなたも実践してみてください。
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監修者:「日常実践の禅」編集部
日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やリモート自宅座禅会を開催しています。
参考文献:
「さすらいの仏教語」(玄侑宗久)
「一行物」(芳賀幸四郎、淡交社)
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