回光返照・回向返照の意味「自分自信に光を当てる」
(えこうへんしょう)
座右の銘として使える禅語
座右の銘として用いられる禅語「回向返照」の解説記事です。
「回向返照」も同義で、読み方はいずれも「えこうへんしょう」です。
出典の臨済録では「回向返照」が用いられていて、自信をつけろと励ます臨済録の主眼をそのまま表し、光を自分自身の内面に当てて輝かせろというポジティブな言葉です。
読み方
回向返照、回光返照、どちらも用いられます。
原典は「回光」ですが、仏教用語である「回向」が用いられることもあります。ます。
言葉が両立している背景
「回光」はこの二文字だけで用いる場合は「かいこう」と読んで、科学技術の用語として用いられられています。
しかし、「えこう」と読んで用いられることのない言葉です。
一方で「回向」は仏教用語で「自分自身の積み重ねた善根・功徳を相手にふりむけて与えること」を表わす言葉として用いられます。
したがって、あまり馴染みのない回光とともに、お馴染みの回向が徐々に用いられるようになったと考えられます。
出典
臨済録に出てくる言葉です。
臨済録は一貫して「自分自身の力を信じろ」と励ましてくれる臨済宗の宗祖「臨済」の語録をまとめた書物です。
(読み下し文)
問う、如何なるか是れ西来意。
師云く、若し意有らば、自救不了。
云く、既に意無くんば、云何が二祖は法を得たる。
師云く、得とは是れ不得なり。云く、既若不得ならば、云何が是れ不得底の意。
師云く、你の一切処に向いて馳求の心歇むこと能わざるが為に、所以(ゆえ)に祖師言く、咄哉丈夫、頭を将って頭を覓むとと。
你言下に便ち自ら回光返照して、更に別に求めず、身心の祖仏と別ならざるを知って、当下に無事なるを、方に得法と名づく。
(意味)
問い、「初祖が西からやって来た意図は何ですか。」
師、「もし何かの意図があったとしたら、自分をさえ救うこともできぬ。」
問い、「なんの意図もないのでしたら、どうして二祖は法を得たのですか。」
師、「得たというのは、得なかったということなのだ。」
問い、「得なかったのでしたら、その得なかったということの意味は何でしょうか。」
師、
「君たちがあらゆるところへ求めまわる心を捨てきれぬから〔そんな質問をする〕のだ。だから達磨大師も言ったじゃないか、
『こらっ!立派な男が何をうろたえて、頭があるのにさらに頭を探しまわるのだ』と。
この一言に、君たちが自らの光を内に差し向けて、もう外に求めることをせず、自己の身心はそのまま祖仏と同じであると知って、即座に無事大安楽になることができたら、それが法を得たというものだ。」
およその大意は掴めたかと思います。
しかしこの言葉は、この臨済の意図に基づかない解釈がされることが多くあります。
よくある解釈
この言葉は次の2つのような解釈がされがちです。出典から鑑みるには誤用と言えます。
滅びる寸前に一時的に勢いを取り戻すこと
夕日の照り返しで、日没直前に一時空が明るく事になる現象を指して「回光返照」と呼ぶという解釈があります。
しかし、実際には夕日が沈む間際に明るくなることはありません。
グリーンフラッシュという現象がありますが、見ていただければ空が明るくなるほどの強い光が起きません。
太陽が完全に沈む直前、または昇った直後に、緑色の光が一瞬輝いたようにまたたいたり、太陽の上の弧が赤色でなく緑色に見えたりする、稀な現象。緑閃光ともいわれる。
グリーンフラッシュをもって「回光返照」として、「滅びる寸前に一時的に勢いを取り戻すこと」という意味を導出するのは、映像を見ても、原典の意味から考えても無理があります。
日々反省すべし
自分自身に目を向けるという意味で、「日々反省すべし」は良さそうに思えます。
しかし、臨済はポジティブに自分自身に目を向けろといっており、自分のよくなかった点を反省して改善していくようにというような意味でこの言葉を使っていません。
自分の身心はお釈迦さまや達磨大師と同じだぞ!
自信を持て!うろたえるな!!
と言っています。
自分の可能性に光を当たろというのが、臨済の言っていることです。
「自分自身には力が備わっているぞ」という励ましの言葉であり、反省や自省とは少し意味が違います。
“自分を信じること”は仏教の基本テーマであり、この考え方は臨済をさかのぼり、仏教の始祖であるお釈迦さまからずっと続いています。
本来の意味
回向返照・回向返照が「自分自身の力を信じる」という意味の言葉であることが分かってきました。
先に述べたとおり、これは臨済に限ったことではなく、禅宗や仏教全般の基本的な命題です。
実際、お釈迦さまは生まれたときから死ぬときまで、言葉を変えてずっとこのことを言っています。
生まれたときの言葉「天上天下唯我独尊」の解説はこちらから
ご臨終の言葉「自灯明」の解説はこちらから
まとめ:座右の銘として
以上、勇気を与えてくれる禅語「回向返照」・「回向返照」の解説でした。
ご自身の座右の銘として、人生の困難や辛酸を乗り越える光を自分自身に当てる言葉として味わっていただけますと幸いです。
今日も良い一日をお過ごしください。
引用・参考文献:
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吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
監修者:「日常実践の禅」編集部