達磨の禅語「不識」(ふしき)の意味:「知らねーよ」。思い切って開き直ってしまおう!使い方と例文付き
不識は「ふしき」と読みます。“知らない”という意味ですが、ニュアンスとしては「しらねーよ」「興味ないよ」といった意味になります。
何について関心がないのかが重要になりますが、その鍵はこの言葉を発した達磨(ダルマ)のエピソードをまず知らなければなりません。
この禅語の背景
達磨は禅宗の開祖であり、ダルマさん転んだのダルマさんです。
壁に向かって9年座禅を続けたという逸話が、ダルマ人形になり、また座禅を基本とする禅宗の始まりになります。
実在した人物かどうかを問う議論もある達磨ですが、インド・ペルシャから5~6世紀に中国に渡ってきたとされています。
「不識」は達磨と皇帝との禅問答のエピソードに由来します。
それでは早速、痛快して難解なダルマさんのエピソードをみていきましょう。
ダルマさんが知らなかったものは何か
中国で時の皇帝である武帝に招かれて、「あなたは何者か」と問われます。
この時の達磨の答えが、「不識(知らねーよ)」になります。
不識を「認識できず」と訳してもいいですが、それではこの皇帝とのやり取りが前後を含めてみたときに理解しづらいと思います。
第1ラウンド
<武帝>
「仏教の信仰に力を注いできた。ご利益はあるんだろうか」
<達磨>
「ないと思います」
第1ラウンド振り返り
残念です。いきなり、やらかしてしましました。
実際には「無功徳」と答えています。
いずれにしても皇帝に対して、あまりに愛想がありません。
第2ラウンド
しかし、さすがは皇帝。
大人の対応をしてくれ、次の質問をしてくれます。
さあ、第2ラウンドです。
<武帝>
「本当に大切なことってあるんだろうか」
<達磨>
「ないですよ、青空のように」
第2ラウンドの振り返り
また、やってしまいました。
せっかくのチャンスを台無しです。
実際には「廓然無聖」と答えています。
第3ラウンド
さあ、気を取り直して最終ラウンドです。
禅問答らしい問いが、皇帝から投げかけられます。
<武帝>
「君はそもそも何者?」
<達磨>
「知りません。」
第3ラウンドの振り返り
またまた、やってしまいました。
とんちの聞いた答えとか、なかったんでしょうか?達磨さん。
この「知りません」の実際の言葉が、今日のテーマである「不識」です。
文脈からは「知らねーよ」に近いニュアンスです。
現場の空気感を思うと、ひやひやします。凍り付きますね。
このやり取りの後、ダルマは武帝の元を去ったとされています。
反りがあわなかったということになりますが、ダルマにはまったく社会性やポリティカル・コレクトネスがなかったともいえます。
武帝は至っていなかったという含意がこのエピソードには当然あるのですが、しかしこのような応対をされてしまっては誰でも面を食らってしまいます。
もし達磨がポリティカル・コレクトネスを持ち合わせいたら
もしポリティカル・コレクトネスを達磨が持ち合わせいたら、もっと現場は穏やかな空気になっていたでしょう。
武帝「仏教の信仰に力を注いできた。ご利益はあるんでしょうか」
ダルマ「相応のご利益があることと存じます」
武帝「本当に大切なことってあるんだろうか」
ダルマ「皇帝はすでによくご存じのことと思います」
武帝「君はそもそも何者?」
ダルマ「仏教に信仰に厚い皇帝がいると聞き、インドからはるばる参りました。この地で仏教の信仰に努めるつもりです」
これでも十分であり、処世としては当然のレベルと思われます。
しかし、達磨は先の通り答え、面壁九年と呼ばれる9年に及ぶ座禅生活に入りました。
達磨の回答は、後世すべて禅語になった
禅の本懐である「無」を連発、先に述べた壁に向かって9年座禅をすることになります。
権力者への対応としては最低でしたからね。
しかし、禅問答としては実に痛快で的を射ているということでよく語られるエピソードになります。
このエピソードに出てくる達磨の回答3つは、いずれも禅語として用いられるようになりました。
- 「無功徳」⇒仏教の信仰においても、禅の実践においてもご利益(いいこと)なんてない。(そんなもの期待しないでね、信仰や実践が目的だから)
- 「廓然無聖」⇒真理(これこそ真実)なんてものはないし、正しいとかこうあるべきとかそういうものはない。空がまったくからっぽであるように。
- 「不識」⇒自分がだれなのか、知りませんし、興味ないです。
皇帝といえども、物ともしない無骨さがなんとも禅らしいというわけです。
「知らねーよ」とはどういうことか
さあ、前置きがながくなりましたが、ここからが本題です。
本題の不識、すなわち「自分が誰かなんて知らないよ」についてもう少し考えてみましょう。
達磨がどうでもいいと思ったこと
意味としては、ダルマは「自分は何者なのか」といういわゆる自己アイデンティティ論をばっさり切り捨てて、社会的役割や社会的期待を引き受けることを拒んだと言えます。
突き詰めて平易に言い換えるなら、
「人からどう思われているかとは、どうでもいいと思っています」
と突き放したということになります。
普通のオトナはそうはしない
社会人からすれば、そういうことではなくて、その時の場に応じて、その状況における自分を演じるんじゃないのと考えるかもしれませんし、それで正解だと思います。
武帝の立場に立てば、「皇帝と宗教者の対話をしているので、徹底禅問答を展開されてもなぁ。君は、皇帝に招かれた宗教家ですよね」と大人の対応を促したとも取れます。
俺は俺。ただ俺は俺を俺とも思わない
達磨の反応は「知らない!」で、大人と子供の会話のようでもあります。
禅は子どものようにありままに、はからいのないさまを理想とします。
子どもが自分が何であるか、自分の役割が何かを認識していないようにです。
【参考】ありのままを理想とする禅語はこちらから
バラは、ただ全力でバラをやっている
ずいぶん偏屈のようにも思えますが、周りを見渡せばほとんどの生命はそうやって力強く生きています。
バラがあるがままに咲いている。
咲きこぼれるバラを見ていると自分が恥ずかしくなる。
よく見れば花びらが欠けたり、少し萎れていたりと色々だけれども、
どのバラも、他のバラを気にかけたりはしない。
バラには勇気と自信があふれており、
もはや勇気とか自信といった言葉さえ感じさせないほどだ。
これはエマーソンの言葉ですが、達磨も達磨を貫いてやり切っていると言えます。
それが武帝に対する回答であり、その回答を「不識」という言葉だけでなく、その態度・行動において実践して見せたということです。
「不識」とはどういうことか
自分がどう思われるかという社会的評価や社会的役割を考えることをやめ、自分がやるべきことに集中しているさま。またそうあれと励ます言葉。
茶道における実践を志向する
達磨さんの気骨溢れる皇帝とのやり取りや、その後の面壁九年を茶道において解釈し実践するとどうなるのでしょうか。
骨太で厚みのある精神性が、この「不識」という言葉の本質です。
その辺りを汲み取ることができれば、必然、重厚な茶席になることでしょう。
茶掛けで禅語「不識」を用いるときの意味
席の準備で道具を揃え、点前を確認して。準備には切りがありませんが、どこかで開き直らなければ堂々とお客さまを接遇することはできません。
「細かいことはよく分かりませんが、」と開き直った方がかえって、お客さまにとっても心地のよい場になることと思います。
そんな宣言の軸として「不識」、分かりません!としてはいかがでしょうか。
ご銘・揮ごうで禅語「不識」を用いる
全力でバラがバラであるように、自分も自分のやることをやるだけ。
周囲のうわさ話に付き合いません。色々心配したり気にしている人への励ましの言葉として「不識」、気にするな!はいかがでしょうか。
使い方と例文
即実践を志向する禅の精神に則って、今日から「不識」を自分や周囲の人の心を整理する言葉として使ってみましょう。
日々の生活のなかで、ふとダルマが皇帝に答えたように「知りません!興味ありません!」と振り切ってしまってもいい時があるかもしれません。
- 体を気にする自分に気づいたとき
- 周囲の期待と自分のやりたいことにギャップを感じたとき
- 何かを創作するとき
色々なシチュエーションで、魔法の言葉として「不識」(ふしき)と唱えてみてください。
禅語「不識」の使い方と例文①
作りたいものがある・・・
人の評価なんて、興味ないよ!「不識」
いいじゃないですか、自分のなかの絶対的なものに向かった邁進しましょう。
花が花を咲かせるように、自分の作品を作ってください。
禅語「不識」の使い方と例文②
自分はこう進む。
だらか最もらしい他人の経験談なんて、知りたくないよ!「不識」
自分の体験や感じたことを大切にする“自信の宗教”が、禅です。
【参考】他者からの学びを否定する禅語はこちらから
禅語「不識」の使い方と例文③
自分がやるべきことに集中するだけ。
人にどう思われようが、知らねーよ!「不識」
いい調子です。人のことは気にせず自分の道を邁進するあなたを、禅は応援しています。
【参考】人のことは気にするなという禅語はこちらから
まとめにかえて
いかがでしたでしょうか。
「そんなの関係ない!」と周囲の雑音や、自分のなかから湧き出る雑念を振り払う言葉が「不識」かもしれません。
自分がだれなのかと聞かれて、「そんなことはどうでもいい」と言い切った達磨の心境は、まさに空のようにすっきりと晴れ渡ったいたことでしょう。
すべてに気をつかって疲れかけてしまったときに、「まあ、いいか。」としてしまっていいんでしょうか。
それでいいんだ!と髭もじゃのオジサンは笑ってくれるはずです。
日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。
参考文献:「一行物」(芳賀幸四郎、淡交社)
画像の一部:https://pixabay.com/
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