滝直下三千丈(たきちょっかさんぜんじょう)
天の川から落ちる滝の水しぶきを感じる
禅の絶対世界の体感を表す禅語
原典
『廬山の瀑布を望む』という漢詩がこの禅語のモチーフです。
李白『望廬山瀑布』(ろざんのばくふをのぞむ)
廬山は中国江西省にある山で、たびたび漢詩で謳われる世界遺産です。
瀑布とは、高い所から白い布を垂らしたように、直下する水の流れ、すなわち滝のことです。
日照香炉生紫烟
遥看瀑布挂前川
飛流直下三千尺
疑是銀河落九天
書き下し文
日は香炉を照らして紫烟を生ず
遥かに看る瀑布(ばくふ)の前川(ぜんせん)に挂(かく)るを
飛流(ひりゅう)直下三千尺(ちょっかさんぜんしゃく)
疑おうらくは是(こ)れ 銀河(ぎんが)の九天(きゅうてん)より落つるかと
意味
廬山の香炉峰から太陽の光が当たって紫色の霧が生じている
川の向こうに遥か、滝を眺望できる
しぶきが舞う滝は、一直線に900メートル落ちている
天の川の宇宙から落ちているのかと思うほどだ
詩の解説
1尺は約30㎝ですから、三千尺で900mになります。
李白らしいドラマチックな結句「疑是銀河落九天」がこの詩のハイライトです。
銀河は天の川のことで、九天は天空・宇宙の一番高い場所を示します。
天の川から一直線に滝が落ちてきているかと思うほどだという詩的表現で、度々謳われる廬山についても他を圧倒する詩仙李白の詩的センスが鑑賞のポイントです。
瀧=滝
禅語では滝は「瀧」という言葉を用いることがほとんどですが、意味は同じです。
瀧の略字が滝です。
李白の詩と禅語の違い
李白の詩ではあえて「滝」という言葉を使わないことで、滝のイメージがより深まるような工夫がされています。
禅語はこの七言絶句でも長いとしてさらに短くするのですが、「滝」を用いずに「直下三千丈」では意味が分からなくなってしまいますから、「滝 直下三千丈」としています。
数の少ない6文字の禅語
禅語の多くは4文字、5文字、7文字で構成され、6文字というのはそれほど多くありません。
しかも、明確に1文字+5文字という独特の構成になっている禅語はさらに数が少なく、このような構成になっているのは、このモチーフとなっている李白の詩的技巧が理由になっているわけです。
独特の調子が心地よい
日本語での調子としては「滝 直下三千丈」でキリっとした緊張感がこの言葉の語感と合い、人気の禅語になっている要因になっています。
禅語「滝直下三千丈」の意味に迫る
この李白の詩を踏まえたうえで、滝直下三千丈という禅語になります。
李白との詩の違いが、この禅語の意味を探る手がかりになります。
滝の長さが10倍
禅語での鑑賞のポイントは、李白の詩のハイライトである結句部分、宇宙から滝が落ちてくるようだという表現を踏まえて、三千尺を10倍して三千丈としたところにあります。
非現実的な天の川から落ちてくる滝の方に滝の長さの表現を寄せ、9㎞落ちてくるとあえて改めています。
三千尺(900m)でなく三千丈(9000m)である理由
改変した理由は、いくつかの禅語にみられる非現実的・非日常的な悟りの境地を示すためです。
李白の宇宙的な誇張表現も、禅の世界では実際にそのとおりだと感じるところまで、現実的・日常的は相対世界の常識を否定していきます。
この禅の態度、悟りに至った際の体感表現のために、李白の詩のクライマックスを頂戴し、禅語として成立させたということです。
非日常的な絶対体験を表している
ですから、滝直下三千丈は、宇宙の遥かかなた天の川から滝が一直線に落ちてくることを、詩的表現として鑑賞するのではなく、非日常的な絶対世界の自己の体感として味わうというのが本懐ということになります。
絶対世界の体感とは
絶対世界というのは、相対世界の反対です。
私たちに日常生活、社会生活はすべて相対世界の上に成り立っています。
相対世界というのは、大小・白黒・甘辛など比較と違いのある世界です。
服のサイズの大小、金額の高い・安いなどすべて比較による相対の世界に対して、そうではない絶対の世界というものを禅では大切にします。
- 釣月耕雲(ちょうげつこううん)
- 東山水上行(とうざんすいじょうこう)
- 鉢盂裏走馬 (どんぶりのなかで馬を走らせる)
- 小魚呑大魚 (小魚が大魚を飲み込む)
- 一口吸尽西江水(ひとくににすいつくす せいこうのみず)
- 半升鐺内煮山川 (小鍋で山や川を煮る)
- 一粒粟中蔵世界(一粒の粟に世界がある)
- 毛呑巨海芥納須弥 (毛が大海を飲み込み、小粒が大山を収める)
非日常を頭で理解するにとどめない
つまりその世界では日常生活の当たり前、慣習に基づく常識が通じません。
この世界を観念として理解するということではなく、冷暖自知のごとく、はっきりと体感するべしというのが禅の考え方です。
非日常を体で感じる
考えは論理によって丸め込むことも否定もできますが、冷たい・熱いと感じた自分の体感はどうにも否定できず、また論理によって諭すこともできません。
自分が感じた熱さは、人によって「それは熱くない」とか「おまえは熱いと感じていない」と否定されないからです。
天の川から落ちてくる滝のしぶきを感じられるか、感じられたならその絶対世界は誰にも否定されない、というのが禅の考え方ということです。
その逆もある
禅の世界ではこの絶対世界を大切にしつつも、これがすべてではなく、その逆の相対世界も肯定するという奥深さも禅にはあります。
これについては、別の禅語に譲ることになります。
- 柳緑花紅(やなぎはみどり はなはくれない)
- 桃紅李白(ももはくれない すももはしろ)
- 眼横鼻直(がんのうびちょく)
- 松曲竹直(まつはまがれり たけはなおし)
- 山是山水是水(やまはこれやま みずはこれみず)
- 鳶飛戻天魚躍于淵(とびとんでてんにいたり うおふちにおどる)
- 鶏寒上樹鴨寒下水(とりさむくしてきにのぼり かもさむくしてみずにくだる)
この語の季節
天の川は七夕の時期、天の川がよく見える夏の時期がふさわしい季節です。
李白の詩がまず、この夏の時期にちなんで天の川、そして涼しげな滝のしぶきを表現していますから、禅語においても夏の夜、天の川の滝のしぶきを体感することがこの語の味わい方ということになります。
まとめ
暑い夏の夜、天の川を眺めるところからさらに進んで、そこから落ちてくる滝のしぶきを感じること、これが禅の悟りの境地のということになります。
どのようにそこに至るのか、禅では座禅を古くから鑑賞しています。
ぜひ、一晩、二晩と続けてみてください。
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