一口吸尽西江水(ひとくににすいつくす せいこうのみず)
一杯の水の味わい尽くせば自由・悟りの境地
大河の水を一気に飲み干すという禅語です。
「できるわけがない」「そんなことはありえない」という常識的な反応がかえってきそうですが、その常識を超えた境地を力強く主張するのが禅であり、この言葉です。
まずは出典からみていきましょう。
出典
馬祖語録・龐居士語録に出てくる有名なやり取りです。
出典のとおり、馬祖と龐居士の対話です。
原文
居士後之江西參馬祖大師
問曰
不與萬法為侶者是什麼人
祖曰
待汝一口吸盡西江水即向汝道
書き下し文
居士、後の江西(こうせい)、馬祖(ばそ)大師に参ず
問うて曰(いわ)く
萬法と侶(とも)たらざる者、是(これ)什麼人(なにびと)ぞ
祖曰く
汝(なんじ)が一口(いっく)に西江(せいこう)の水を吸盡(きゅうじん)するを待ちて、即(すなわ)ち汝に向かって道(い)わん
意味
龐居士(ほうこじ)は馬祖禅師に参じた。
龐居士は聞いた。
あらゆる法とも無縁に生きられる人、これはどのような人でしょうか。
馬祖(ばそ)は言った。
お前が西江の水を一口に飲み干したなら教えてあげるよ。
登場人物
2人の登場人物、馬祖も龐居士も禅史において非常に有力な人物です。
そんな二人の直接の対話の場面から生まれた言葉なだけに、一口吸盡西江水も大事にされているということとになります。
馬祖
馬祖道一(どういつ)。唐代の禅僧です。
非常に多くの弟子を抱え、そのなかから有力な禅僧を数多く輩出しました。
平常心是道、即心即仏などその語録から多くの禅語が生まれています。
インドから来たという禅を中国の実践思考の文化のなかで改変し、経典よりも生活での実践を重んじる現在の禅宗の基礎を確立した人物とされています。
現在の禅宗は馬祖禅であるとも言われることがあるほどです。
龐居士(ほうこじ)
唐代の在家の禅信者で、禅僧たちとの問答が多く残されていて、そのやり取りから大変な度量があった人物として敬われています。
娘の霊昭女(れいしょうじょ)も有名で、古くからたびたび絵に描かれています。
解説
2つのアプローチでこの語の核心に迫ってみましょう。
①体感して理解する
西江の水は、どこの水と読んでもよいので、多摩川の水でも、井戸の水でも、水道水と理解しても構いません。
吸い尽くすと言っても、すべて飲み干さなくてもよいので、コップ一杯の水を飲み干せばそれで構いません。
ただし、集中して飲み切らなければなりません。
味わいつくす一杯の水
例えば井戸の水を飲むとして、その水が山から地下水脈を通じて流れてきた水であること、さまざまなミネラルを含んでいること、体の細胞にしみわたっていくイメージなど一杯の水であっても心から飲み干すということです。
山に降った雨は、元は海で生じた雲が山に当たって雨となったものであること、海は地球の70%を覆っていること、水は地球と太陽の距離、月との距離などの微妙なバランスによって奇跡的に生じていることなども飲み干したいものです。
水によって自分の健康や体力が維持されること、他の動物・植物も同様に水によってその命が保たれていることなど、地球も人間も動植物もどうように、水によってその多くを構成していて、我々の元素構成は海水と近しいなど、一杯の水を味わいつくせば、極大の世界にも極小の世界にも通じていきます。
②理屈で理解する
物事には大小・長短・高低・新旧・黒白など相対的な違いがある世界に私たちは済んでいます。
いわゆる常識的な世界です。
しかし、それがない絶対的な世界を禅では追及していくことになります。
比較がないそうした世界では、摩訶不思議なことも当たり前のように起こることになります。
この語の示唆するもの
たった一杯の水を飲むという、生きている限り誰もが毎日する行為に悟りのきっかけがあると教えてくれるのがこの語の含意です。
そして、その悟りは、ありきたりの行為を全力で味わいつくすことによって達成されるというところにポイントがあります。
さらに、そのようにして得た悟りの境地にあっては、我々を制約している常識に対して、時にその制約を外して何者にもとらわれない自由な発想や生き方を可能にしてくれるということになります。
近しい禅語
同じ含意の禅語は多数あります。
禅語らしく、季節や生活などの具象的な表現で、形而上学的な論理を体感によって体得させようとしてくれる言葉たちです。
釣月耕雲(ちょうげつこううん)
月を釣り、雲を耕すという幻想的な世界を美しく表現した道元禅師の言葉です。
半升鐺内煮山川(はんしょうのとうないにさんせんをにる)
小鍋で山や川を煮るという意味です。
あり得ない状況ですが、体感できるところまでいけば悟りの境地と言えます。
鉢盂裏走馬(はちうりにうまをはしらす)
どんぶりのなかで馬を走らせるという意味です。
テーブルの上のどんぶりをのぞきこむと大草原が広がっていて、そこを優駿が駆け抜けているというファンタジーな世界を表現した言葉です。
一粒粟中蔵世界(一粒の粟に世界がある)
毛呑巨海芥納須弥(もうきょかいをのみ けしゅみをおさめる)
毛が大海を飲み込み、小粒が大山を収めるという意味です。
小魚呑大魚 (しょうぎょたいぎょをのむ)
小魚が大魚を飲み込むという、分かりやすく大小の倒錯した世界を示している一語です。
滝直下三千丈(たきちょっかさんぜんじょう)
滝が落ちること、9000mという言葉です。
富士山の高さが4000mないわけですから、当然そんなに大きな滝は地球上にはあり得ません。
しかし、絶対的な世界で実現するその壮大なスケール感と、涼しい水しぶきが感じられる言葉として、夏の茶掛けでよく用いられます。
まとめ
たった一杯の水でも、実に味わい深い奥行きがありそうです。
大いに飲みつくしてみてください。
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