山是山水是水(やまはこれやま みずはこれみず)
あまりにも当たり前すぎることを表した言葉で、こういう言葉を格言として大事にするというのはあらゆる宗教や文化のなかでも禅以外ではあまり見られないことかと思います。
多少類する言葉はあっても、禅のようにこうした言葉がいくつもあって、何度も何度もこのことを確認してくる宗教というのは珍しい考え方で、禅のひとつの特徴を表している言葉とも言えます。
読み方
「やまはこれやま みずはこれみず」が一般的ですが、漢語読みして「さんぜさん すいぜすい」でも構いません。
「水」の意味
ここでの水は川のことです。川や湖を指して水と呼ぶことが昔の中国、禅語のなかではたびたびあります。
コップの水、桶の水、水道の水の意味ではなく、情景として川を想起して理解するのが正しいです。
- 水声山色(すいせいさんしょく)
- 行雲流水(こううんりゅうすい)
- 水流元入海(みずながれてもとうみにいる)
- 水急不流月(みずきゅうにして つきをながさず)
出典
唐代の禅僧、雲門文偃(うんもんぶんえん)の『雲門広録』です。
雲門による禅語は「日日是好日」、「金毛獅子」、「乾屎橛」、「花薬欄」など数多く残っています。
『雲門広録』
諸和尚子莫妄想
天是天地是地
山是山水是水
僧是僧俗是俗
書き下し文
諸もろの和尚子(わしょうす) 妄想すること莫(なか)れ
天は是(こ)れ天 地は是れ地
山は是れ山 水は是れ水
僧は是れ僧 俗は是れ俗
意味
修業僧の皆さん どうかよそ事を考えないように
天は天 地は地です
天地を一体ではないし 天地を倒錯してもいけません山は山、川は川です
僧は僧として 俗は俗として
取り違えたり 混同しないように
皆さんは僧です
僧は俗ではなくわが身を保ち
山を山として 川を川として正しく分別できるようであれ
当たり前のこと
禅ではこの当たり前の分別を強調することがよくあります。
そういう禅語も多くあります。
理由は2つあります。
理由1 奇天烈、詭弁を忌避する
基本的に禅は神秘を語りません。また形而上学的議論を嫌って文字を退け、生活実践を勧奨します。
何とかこじつけで山は川であるように、川が山であるかのような主張もできるかもしれません。
こうした異常な詭弁が、時に社会に流布し、また我々の常識のようになっていることがあります。
おかしな話はおかしいと、素朴に感じられる感性を禅では大切にしています。
- 柳緑花紅(やなぎはみどり はなはくれない)
- 桃紅李白(ももはくれない すももはしろ)
- 眼横鼻直(がんのうびちょく)
- 松曲竹直(まつはまがれり たけはなおし)
理由2 すべてが一体であるという境地からの回帰
禅では山は山、川は川という境地から、山も川も何もかもすべて一体であるという万物帰一の境地に達するとされています。
- 万法帰一(ばんぽうきいつ)
- 萬法一如(ばんぽういちにょ)
- 一二三四三二一(いちにさんし しさんにいち)
そうしてその後、山はやっぱり山、川はやっぱり川という当たり前の認識に戻っていくという発展論的な考え方があります。
この見地に立つと、当初の分別のある境地、そしてまた戻ってきての分別のある境地というのが「山是山水是水」の世界ということになります。
悟りが進むという考え方
悟りの発展段階説を分かりやすく示した言葉をみてみましょう。
江味農居士『神經喜喜』
古德又云。
不悟時、山是山、水是水。
悟了時、山不是山、水不是水。
山是山水是水者、只見諸法也。山不是山水不是水者、惟見一如也。
又有悟後歌云。
青山還是舊青山。
蓋謂諸法仍舊也、而見諸法之一如、則青山雖是舊、光景煥然新矣。
意味
悟りに至らないときは山は山、川は川にしか見えない。
悟ると、山は山でなくなり、川は川でなくなる。
山を山、川を川とする者は、ただ諸法を見ている。
山は山でない、川は川でないといするものは、ただ一如を見ている。
さらに悟りが進むと、青山が青山に戻ってくる。
諸法はそのままに、かつ諸法が一如である。
青山は以前と同じだが、その景色は新鮮である。
禅には両方の考え方がある
現実への対応として分別して考えよう
全体を一つにまとめ上げるような考え方、包括的な議論は大変な労力を要しますから、生活実用的な禅の実践としては、一旦山是山水是水として分けて考えるのが現実的でよいアプローチになります。
もちろん、川をたどれば山に至りますし、山を流れる川は川でありながら山でもあります。
これは観念論的で抽象的な議論、当たり前を疑う思考作業とも言えます。
すべてを疑うという姿勢も禅では出てくるので(大疑団)、これはこれでよいのですが、
しかし、そういう話もありつつ、それでは対応できない現実の社会生活というものもあります。
明確な分別、当たり前を受け入れ実践することが山是山水是水の意味です。
常識的(当たり前)でない世界
つまり禅では山是山水是水という分別のある当たり前の世界も、そうでない不可思議な世界も両方受け入れるような立場ということです。
- 鉢盂裏走馬 (どんぶりのなかで馬を走らせる)
- 小魚呑大魚 (小魚が大魚を飲み込む)
- 半升鐺内煮山川 (小鍋で山や川を煮る)
- 一粒粟中蔵世界(一粒の粟に世界がある)
- 毛呑巨海芥納須弥 (毛が大海を飲み込み、小粒が大山を収める)
まとめ
山是山水是では、このうちの片方の主張、当たり前を大切にするという考え方を重視しています。
何でもない当たり前の判断や当たり前の生活にそれでよいのだと安心と肯定を与えてくれるのが禅です。
今日も良き当たり前の一日をお過ごしください。
- 平常心是道 (びょうじょうしんこれどう)
- 別無工夫(べつにくふうなし)
- 無事是貴人(ぶじこれきにん)
- 日々是好日(にちにちこれこうじつ)
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- 「一」:一とは自分自身のこと
- 「風」:目に見えない、とどまらないもの
- 「月」:禅では悟りの喩え
- 「夢」:一切は夢という現実
- 「無」:無を強調するのは禅の特長
- 「道」:道とはすなわち禅の道
- 「雪」:禅は冬の宗教
- 「心」:何はなくとも心が大切と考えるのが禅
- 「坐」:座禅が“禅”の基本。しかし執着はしない。
- 「雲」:消え去る雲に捕らわれるな
- 「山」:静寂にして不動
- 「花」:何も考えずに生き抜く美しさ
- 「茶」:日常生活のメタファー(たとえ)
- 「水」:老荘の影響を受けて水は良きもの。川を意味する。
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