雨竹風松皆説禅(うちくふうしょう みなぜんをとく)
すべてのものに仏性は宿っている
雨の一粒一粒が禅を教えてくれる。
竹の葉の一枚一枚が禅を説いている。
どこか遠い国に出かけていく必要はない。
超人的な修行も不要である。
どこかに立派な人がいて、自分を導いてくれるわけではなく、悟りは今すぐに自力で感じ取れるというのが禅である。
禅はどこにでもある
雨竹風松は、どこにでもあるものの例えだから
今、ここで悟りを開けるとこの語は言っています。
すなわち、今、ここが理想の地になるし、私が仏になれるということになります。
悟りのときはいつか
ただ、雨音を聞いて、ただ、竹の音を聞いて、
そのことに悟れるかと迫ってくるのがこの語です。
悟りの時は“今”
何でもない景色や日常に、忽然と悟るというエピソードは禅ではよく出てきます。
今、ここ、私の問題なのだと理解することが悟りです。
この語を味わうポイント
禅語らしい身体性
この語の面白いところは、音にフォーカスを当てているところです。
禅は高度に形而上学的ですが、同時に形而上学的議論を嫌って日常生活を重視するので、
例えば禅語では、季節や自然、生活道具、身体・五感などでその意味と実践が示唆されます。
この語では、身体・五感になかでも聴覚・音で感じることを求められます。
形而上学的思想の身体的な体得を旨とする禅らしく、自然のなかで感覚を研ぎすまし、
わずかな音に自分の実存をはっきりと掴み取るということです。
神秘ではなく実感として
今、自分は生きている、なぜなら雨音をしっかりと聞けているから、という生の体感を得ることを指して、「禅を説く」といっています。
雨音からお経が聞こえてくるとすれば超常現象ですが、禅では神秘を語りません。
雨音を雨音としてしっかり聞く自分を認識できるか、ボーと雨音を聞き逃して空ごとを考えるかの違いです。
みんなが禅を説く
身の回りのものがすべて禅を説くといっているので、きっかけは悟りのきっかけはすぐそばにあるということになります。
厳しい修行も神秘的な奇跡体験も必要ないということです。
日常生活のなかに精神の平和を見出せる、とても前向きな言葉と言えます。
自然なものに価値を見出す
禅では計らいや意図的なものよりも、まったく作為のない、ありのままの姿を大切にします。
表層的なものよりも、”そのもの”を見よというような言い方もされます。
雨や風、山や川のような自然の造形物や、四季の移ろいや太陽や月の動きのような普遍的なさまに、禅の好む素朴な価値を見出します。
この語ではそうした自然のさまに禅の教えがあると端的に言っています。
まとめ
梅雨の雨音に耳を傾ければ、精神が集中し、感覚が研ぎ澄まされ、心の平静が得られるかもしれません。
自分は生きているのだという実感が禅であり、自分こそが仏なのだと信じること、すなわち自信こそ禅の本義です。
ぜひ今日、雨の音を静かに聞いてみてください。
日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。
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突き詰めると、たった一字でも味わい深い意味が生じるのが禅の世界です。
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- 「一」:一とは自分自身のこと
- 「風」:目に見えない、とどまらないもの
- 「月」:禅では悟りの喩え
- 「夢」:一切は夢という現実
- 「無」:無を強調するのは禅の特長
- 「道」:道とはすなわち禅の道
- 「雪」:禅は冬の宗教
- 「心」:何はなくとも心が大切と考えるのが禅
- 「坐」:座禅が“禅”の基本。しかし執着はしない。
- 「雲」:消え去る雲に捕らわれるな
- 「山」:静寂にして不動
- 「花」:何も考えずに生き抜く美しさ
- 「茶」:日常生活のメタファー(たとえ)
- 「水」:老荘の影響を受けて水は良きもの。川を意味する。
- 「喝!」:最も短いアドバイスの言葉
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日常生活で実践する
身の回りを片付ける
禅は空理空論を避け、日々の実践を志向します。
身のまわりの片付け・清掃から始めてみてください。
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