柳緑花紅の意味「それぞれがそれぞれらしく」
座右の銘、掛け軸、書道で使われる人気の禅語
(りゅうりょくかこう)
(やなぎはみどり はなはくれない)
禅語「柳緑花紅」の解説記事です。「柳はみどり、花はくれない」と読みことで「それぞれがそれぞれらしく」という意味が取りやすく、茶道でも書道でも人気のある言葉です。
禅ではこのように「違うものは違う」という考え方と、その逆として「違うものも皆一つである」という考え方の両方を採ります。この言葉は「違うものは違う」を強調した言葉ということになります。
それでは、読み方、出典、意味を探索していきましょう。
読み方
「りゅうりょくかこう」と読みます。
しかし、次のように訓読みしても構いません。
柳は緑、花は紅
掛け軸や書道、座右の銘として使われる機会の多い言葉ですが、理由の一つには、この言葉の日本語が「四・三,三、四」で調子がよいことだと思います。
「柳はみどり、花はくれない」と読むと、意味もスッキリ入ってきます。
出典
「柳緑花紅」は人口に膾炙して広がった言葉で、明確な出典はありません。
古くから中国で使われていた言葉と考えられています。
古い出典では薛稷(せつしょく)
古くから使われている言葉で、薛稷(せつしょく、649~713年)に「花紅柳緑」と前後が逆になった使われ方が出てきます。
河洛風煙壯市朝、送君飛鳧去漸遙。
更思明年桃李月、花紅柳緑
宴浮橋。
蘇東坡(1036~1101)の詩を出典とする誤説
蘇東坡(そとうば、1036~1101年)の詩と言われることがありますが、薛稷(649~713年)の方がだいぶ古い文献です。
また、蘇東坡が書いた文献調査が2014年に行われましたが、そうした文献は確認されませんでした。(国立国会図書館レファレンス共同データベース)
「柳緑花紅は蘇東坡の詩」ということ節自体が、人口に膾炙して広がっている状態と言えます。
禅の文脈で多用されるようになった
禅が強調する「そのものの、そのものらしさ」・「違うものは違う」という考え方と合致し、禅語としても古くから使われています。
柳緑花紅が収録されている禅籍
柳緑花紅は主要な禅籍にもしっかり収録させています。
- 禅林句集
- 禅語字彙
禅僧に愛される言葉
国内でも、一休禅師、沢庵禅師といった著名な禅僧がこの言葉を引用して詩歌を作っています。
読み人知らずの言葉ですが、的を射た禅味が古くから禅僧たちを惹きつけていることが分かります。
一休禅師の短歌
見るほどに みなそのままの 姿かな
柳は緑 花は紅
一休禅師
一休さんでおなじみの一休禅師は室町時代の禅僧です。
茶道のはじまりをつくったとされる珠光が参禅していました。
他にも金春禅竹(能作者)など大きな文化的影響を与えた臨済宗大徳寺派の怪僧です。
破天荒の生き方が有名ですが、禅の真髄を捉えた詩歌を多く残しています。
沢庵禅師の短歌
色即是空 空即是色
柳は緑 花は紅
水の面に夜な夜な 月は通へども
心もとどめず 影も残さず
沢庵禅師
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての禅僧です。
漬物の沢庵漬けを考案したとの説がありますが、定かではありません。
禅僧としては傑出した生き方を伝えるエピソードが数多く残っています。
意味を考える
意味は上記の一休禅師の短歌を読むのが一番分かりやすいと思います。
まだ同じ意味の言葉もいくつもありますから、それらから考えても理解が進みます。
- 松曲竹直(まつはまがれり、たけはなおし)
- 桃紅李白(ももはくれない、すももはしろ)
柳緑花紅の意味は、
「違うものは違うからそのように」、「それぞれがそれぞれらしく」と、
明確な区別を促す言葉です。
逆に「すべて同じである」とも考える
注意が必要なのは、禅は同時に「すべて同じである」とも教えるという点です。
背の高い・低い、男性・女性・肌の白い・黒い、これらは違うのだけれど、皆一に帰すとも考えます。山川草木を含めて、すべて仏性を宿っていてみんな同じだと考えます。
芳賀幸四郎は「差別即平等、平等即差別」と度々解説しています。
「花」を用いた禅語
「花」は禅語では度々用いられます。
基本的には「人の生き方」になぞらえたものがほとんどです。
文脈によって色々な生き方を教えてくれますので、それぞれ楽しんでいただければと思います。
- 花看半開(はなは はんかいをみる)
- 桂花露香(けいかはつゆもかんばし)
- 百花為誰開(ひゃっか たがためにひらく)
- 落花随流水(らっか りゅうすいにしたがう)
- 梅花和雪香 (ばいかゆきにわしてかんばし)
- 花知鳥待花(はなとりをしり とりはなをまつ)
- 三冬枯木花(さんとう こぼくのはな)
「柳緑花紅」の季節を考える
茶道やそこで用いられる掛け軸では、季節が重要になってきます。
花はくれないとなっていて具体的な花の名前が語られていないので、まずは柳の季節をみていきます。
柳の時期
柳は季語としては「晩春」に用いられるそうです。
晩春とは 二十四節気の清明から立夏の前日まで(4月5日から5月4日頃)です。
柳は落葉樹ですが、日本で一般的なシダレヤナギは落葉しない場合もよくあります。
しかし新芽の時期は3月頃であることに変わりなく、新緑が美しい時期は4~5月頃になります。
柳は雌雄異株
柳はすべて雌雄異株で、シダレヤナギは古い時代に中国から移入されたもので、日本では雌株が少ないとのことです。
シダレヤナギも雄株・雌株で見た目にハッキリ異なり、雄株は枝が長く下垂しますが、雌株の方はあまり伸びないそうです。
あえて「柳」にした理由
古い時代の人たちも、柳が雌雄異株であることは知っていたでしょうから、つまり、柳は「違うものは違う」のメタファーとして用いられたのかもしれません。
禅の好む緑は本来「松と竹」
禅語の緑は圧倒的に松と竹が取り上げられることが多く、柳の緑というのは他にありません。
冬の緑は生命力の象徴として松・竹が度々用いられるます。
冬の緑である松・竹と、赤い椿でもよさそうです。
新緑の季節にこだわるとしても、その時期は緑で溢れていますから、何も柳である必要はないわけです。
雌雄異株ゆえに「柳」が取り上げられたのかもしれません。
4~5月の赤い花
柳の季節に合わせて、赤い花を探していきましょう。5月に美しい赤い花を幾つか挙げてみます。
- なでしこ
- にちにちそう
- つばき
言葉の背景から考えれば、柳緑花紅は「そのものらしさ」を言いますから、柳を男、花を女性と見立てるならば、「なでしこ」は特によさそうです。
「なでしこ」がよさそう
なでしこは「撫でし子」と語意が通じて、万葉集の時代から女性や子供にたとえられる花です。
「カーネーション」
もう1つ、この季節の赤い花としてカーネーションを挙げておきます。
もちろん、5月の母の日(5月第2日曜)にちなんでのことです。
ちなみにカーネーションはナデシコ科です。
母の日は1900年代の初頭に米国で、亡くなったお母さんを悼んで教会ではカーネーションを捧げた人がいたそうで、それがきっかけとなってのカーネーションが風習になったそうです。
母を母として、女性を女性として、花として讃える言葉として「柳緑花紅」を捉えることができますね。
あえて冬に
冬は、柳は落葉性ですから緑でなくなりますが寒椿を添えて、あえて掛けるのもいいでしょう。
元気のない人に「あなたの緑を取り戻せ」と励ましのエールを送ってもよいでしょう。
座右の銘として
書道・茶道などの場合と違って、座右の銘として用いる場合には特に季節を気にする必要はありません。
むしろ、意味が重要ですから、いくつかの意味を取り出していくことにしましょう。
柳緑紅花 真面目(りょうりょくこうか しんめんもく)
柳緑紅花 には続きがあり、「柳緑紅花 真面目」と真面目という言葉を添えることがよくあります。
この真面目(しんめんもく)が柳緑紅花を座右の銘で用いる際の鍵になります。
正面で向き合うことの大切さ
真面目は「まじめ」と読んでもいいのですが、禅では真面目(しんめんもく)と読みます。
「本来のあるべき姿を正面から見ろ」、「本来やるべきことを全うせよ」といった意味合いで用います。
魔法の言葉として唱えるべき時
心の平穏を与えてくれるのが禅語です。
禅は心の平穏を保つ宗教であり、禅語は常に人に安心感を与えてくれる“魔法の言葉”だということです。
ここまで検討した含意を考えると、「柳緑花紅」と唱えることで解決する心の問題が幾つかありそうです。
真面目に、愚直に頑張ろうと思った時
「柳の緑や花の赤。人はその当たり前を見過ごすけれども、その凡事徹底の生き方を私は素晴らしいと思う」という思いを込めて、物事に真正面から取り組むときの言葉として用いることができます。
柳緑花紅に続く真正面(しんめんもく)を真面目(まじめ)と読んで、誠実さや真剣さをテーマにした茶席で、そういう人をお客さまに迎えることを想定してもよいでしょう。
そういう人に「柳は緑」の茶杓を送ってもかっこいいですね。
「当たり前のことを、当たり前に」
着衣喫飯:
服を着て、ごはんを食べる。当たり前の日常を全力で行うことを表わした禅語です。
人に自分のことをあれこれ言われた時
人に色々言われても、柳も花もマイペースで、それぞれ柳を花をやり続けます。
自分もやるべきことを一生懸命やるだけです。
人に何と言われても関係ない
それぞれがそれぞれらしくあればいいという意味で捉えて、勇気を奮って自分の本領を発揮してください。
「人生いろいろ、自分は自分らしく」
随所作主:
主体的になれば、どこであっても周囲が真実になるという、楽しくなる言葉です。
無心でやってみようと思った時に
そもそも、柳は自分が柳であると知っていてるのでしょうか。
もちろん、柳は自分が柳であるとも知らずに、柳の植生を理解することもなく、毎日柳をやっています。ただ柳をやろうとも思わずに、日々水を吸って日に照らされて成長し、風に吹かれて柳をやっています。
はからいのない心で
柳は真面目(まじめ)に、柳をやろうとも思わずに、柳をやっており、このことは花も然りです。
つまり、
「柳も花も小理屈なしにアイデンティティもなしに日々(真面目)に全力で生きている。
緑になるのも、赤く染まるのも単なる結果。
何をも恐れず自分を全うすること、すなわち真面目にやれよ。」
と自分を励ます座右の銘として、柳緑花紅を捉えることができます。
「自分がどう見られているかとか関係ない」
脚下照顧:
「足元を見て帰る」という有名な禅問答に基づく言葉。
空理空論を忌避する禅語です。
茶道の掛け軸として
実に取り立てるところのない茶席において、「柳緑花紅」とあってもよいかもしれません。
柳が今日も緑色をして風に吹かれているように、赤い花が赤く咲くことが素晴らしいように、当たり前の点前・道具こそ、素晴らしいものです。
本来関心を寄せるべき”主客の心のつながり”や、今日この席が設けられることの幸運を祝うということに集中しましょうという意味になります。
正々堂々当たり前。珍奇なるものを退け、平凡のうちに光輝を見出すという考え方です。
茶道の本来
禅の詫びさび、特に取り立てたもののないことに輝きを見出すという精神活動が茶道の本来です
そういう意味で、非常に痛烈な感性を与える、素晴らしい一席になることでしょう。
福寿海無量:
当たり前の世界に“幸福”が広がっているという禅語です。
禅問答に挑戦する
多くの禅語は禅問答に由来しています。
興味のある方は挑戦してみてください。
まとめにかえて
以上、「柳緑花紅」の出典から、季節、意味、座右の銘として用い方などまで一気に見てきました。
たった、4文字ですが、豊富な文脈と示唆が含まれているところが禅語の特長です。
本稿をヒントに、さらにいっそう「柳緑花紅」を味わっていただけますと幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。
参考文献:
・『一行物』(芳賀幸四郎、淡交社)
・『国立国会図書館レファレンス共同データベース』
・『木のメモ帳』
・『きごさい歳時記』
・『季節の花300』
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