「随所に主となる」の意味:どこにいても主体的であれ
(ずいしょにしゅとなる)
随所作主(ずいしょさくじゅ)

禅語「随所に主となる」を取り上げます。
臨済宗の宗祖である臨済の言葉ですが、ストレートな禅の気風を味わうことのできる一言です。
それでは解説していきます。
読み方

「随所に主となる」は「ずいしょにしゅとなる」と読みます。
原典通りに書くと「随処作主」となり、「ずいしょさくしゅ」と読みます。
訓読み表記の方が直感的に理解できてよいかと思います。
「随處作主」と表記する場合もあり、これですとさらに初見では理解しづらい印象ですが、実際の意味は明快です。
出典

臨済宗の宗祖である臨済の言動を編纂した「臨済録」です。
「示衆」という章に収められています。
臨済は何とも自由な気風の人で、実際「自由」という言葉も臨済は好んで使っています。
何となく西洋啓蒙思想的な考え方をする人です。
原文
道流、汝、若し如法ならんと欲得(ほっ)すれば、
直に須らく是れ大丈夫児にして始めて得(よ)し。
萎萎隋地(いいずいじ)ならば、即ち、得(よ)からず。
夫れゼイ嗄(さ)の器の如きは醍醐(だいご)を貯うるに堪えず。
大器の者の如きは、直に人惑を受けざらんことを要(ほっ)す。
随処に主と作(な)れば、立処皆な真なり。
但有(あらゆ)る来者は、皆な受くることを得ざれ。
汝が一念の疑は、即ち魔の心に入るなり。
菩薩の疑う時の如きは、生死の魔便(たよ)りを得。但(た)だ能く念を息(や)めよ。
更に外に求むること莫れ。
物来たらば即ち照らせ。汝は但だ現今用うる底を信ぜよ。
一箇の事も也(ま)た無し。汝が一念心は、
意味
諸君、もし君たちまっとうでありたいならば、
まず自分は大丈夫だという気概を持たねばならない。
人の言うことを聞いているようではいけない。
ひびの入った器に醍醐(だいご)を貯えることはできない。
大きな人間は、何よりも人に惑わされるようではならない。
どこにいようとも主体的に生きれば、そこが真実の場となるのだ。
人の指図に惑わされてはならない。
君たちに一瞬でも自分を信じないことがあれば、そこに悪魔が入りこむ。
「菩薩であっても疑心があれば、死の悪魔が付け込むのだ」と言われるように。
自分を疑わず、まして外に向って求めてはならない。
外から来た物には、自分の光を照らせ。
君たちが今働かせているものを信じて欲しい。
自分、それ以外にはないのだ。
二節で考える
原文を読むと分かる通り、臨済録はとても自己啓発的な内容で、現代の人々にも大いに通じるものがあります。
およそ葬式仏教的な線香臭さはありません。
随所作主 立処皆真(随処に主となれば、立所皆真なり)

原文をみてのとおり、「随所に主となる」は条件文でした。
対句というか、下の句があり「立所皆真」です。
禅語は極力短く用いることが多いので、「随所作主 立所皆真」のうちの最初の方、「随所作主」だけを用いることが多いです。 より重要で実践可能な方を、結果部分の「立所皆真」に優先して用いることが多いということです。
意訳

「随所作主 立処皆真」のは、「どこにあっても主体的になれば、たちまち本当の姿になることができる」という意味になります。
したがって、「随所作主」は「どこにあっても主体的であれ」となります。
明るい臨済
臨済は、特徴的に「主体性」を強調します。
そして、「自信を持つ」ことを励まし続けています。

この臨済禅の哲学は、東アジアにおける思想史のなかでも特異性があり、革命的ともいえるものだったのではないでしょうか。
臨済の「自信」
臨済の最も重視した言葉の一つです。自信がないから病になるのだと檄を飛ばしています。
詳しい解説はこちらから。
臨済の「自由」
臨済の強調する有名な考え方の1つに「自由」があります。
主体性や自由というと、啓蒙思想的・米国思想を思い浮かべますが、臨済はそれよりもずっと前からこうした考え方を強調していました。
臨済禅の特長

臨済禅のすがすがしい宗風は、乾いたさわやかな風のように心地よく、西洋思想的でもあり、仏教思想のなかでもひときわ目立った魅力があります。
徹底自力の宗教だから
禅宗の基本的な考え方の1つに「徹底自力」というものがあり、この自力重視を端的に現している言葉として「随所に主となる」を捉えることができます。
徹底自力の反対は他力本願

「どこにあっても主体的になることが真」と言い切ってしまうということは、逆にどのような環境でも受動的・従属的であったなら、まったく真とは言えないということになります。
自分が頑張らないといけない
「随所に主となる」は、学校のスローガンになりそうな当たり前で平凡な言葉のようにも感じますが、その逆を否定するという含意があるという意味では強烈です。
誰かに何かをしてもらうとか、環境次第でうまくいくかもしれないといった他力重視の逆を行きます。
自分らしく生きるための禅の言葉
「随所に主となる」と近い禅語がいろいろあります。
大事なのは基本的な考え方です。その眼目を掴むことが重要です。
言葉が難しいと感じた李、回りくどい言い方と感じるようであれば、別の言葉をヒントにするのがよいです。
「なすがままに」はきらい

いつか誰かが助けてくれる、お願いしてやってもらう。どのような環境でもこれに従属しておくのがいい。
こういう考え方は「随所に主となる」の反対になり、禅が好まない考え方です。
人生の主役は自分
「自分で何とかする」という自力や、「人に頼らない」という自立を禅では促します。
「映画の主人公」のように使われる言葉の語源です。意味はやはり主体的なあり方を問う言葉です。
人の話は聞かない
これは原文でしっかり強調されていましたが、なかなか表立って言えることではない気もします。
しかし、禅ではこの考え方はよく出てきます。
人から学ばない

結果的に人から学ぶということに対して、かなり後ろ向きです。
「悪魔が入って来る」と原文では言っていますね。
「そのうちに」はきらい

時間が経てば何とかなる、という時が解決してくれうという考え方も禅とは真逆の考え方です。
今、ここで何とかしようという現在へのフォーカスや創意工夫・発案が禅の実践性や創造性の源泉になる考え方です。
れは一般的には禅語の範疇に入りませんが、短く端的で本質を伝える言葉ですから、モダンな茶席の掛け軸に使ってもいい言葉だと思います。
日常生活で実践する
身の回りを片付ける
禅は空理空論を避け、日々の実践を志向します。
まず自分の身の回り(立ちどころ)から、始めてみてはどうでしょうか。
たちどころに世界が変わるかもしれません。
禅問答に挑戦する
多くの禅語は禅問答に由来しています。
興味のある方は挑戦してみてください。
座禅をする
座禅は最も基本的な”禅”の実践になります。
オンラインで座禅会に参加できる時代になりました。
英語でいうと
Take initiative in everywhere

主は主体的捉えていいと思いますが、役としてはindependent;、responsible、proactive、independent、responsibleなどが考えられます。
ここでは、どこにあってもイニシアティブを取るといういみで、Take initiative in everywhere としてみました。
「When be proactive anywhere, all become truth soon」でどうでしょうか。
まとめにかえて
むしろ現代人に馴染みやすい言葉であり、意味としても分かりやすい禅語です。
茶掛けの掛け軸としても、書道で用いても、座右の銘としても、人に送る言葉としても、揮ごうする言葉としてもよいでしょう。
訓読みで書いてもいいと思いますが、平易すぎて妙味に薄いと感じれば、「随処作主」という難しい漢語が読み解く楽しさを与えてくれることでしょう。

日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。
引用・参考文献:
・『一行物』(芳賀幸四郎、淡交社)
・『禅と悟り』
・『臨済録全文』
画像の一部:
・「pixabay」
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