一花開天下春(いっかひらいててんかはるなり)
心の花が世界を春にする
あなたの心次第で世界は楽しくなります。
逆に世界はあなたの面倒をみれないし、どれほどみんながあなたの世話を焼いてもあなたが幸せになれるとは限らりません。
なぜなら、あなたの世界はあなたの心次第だからです。
それでは、一花開天下春(いっかひらいててんかはるなり)の意味をみていきましょう。
はじめに
花が一つ開いて春の訪れをを感じるという春の情緒を表した言葉と読んでもよいですが、それでは禅旨にかないません。
禅では季節の言葉を時に用いますが、それは分かりやすく禅の心を伝えるためで、特にその季節そのものに意味はありません。
禅語に季節はない
禅語は季節の情緒を楽しむ言葉としても時に用いられますが、はっきり言えば誤用でしかありません。
茶掛けで用いられる禅語は、多くの場合ただ季節に合わせて用いられることがありますが、今一つ本旨を得られていないということになります。
季節以外にも禅語では生活にまつわる具体的な物事を用いることがあり、これらはあくまで例え話で、禅の宗旨には直接関係はありません。
たとえとしての“春”
しかし、禅では日々の自然な暮らしを基本としますので、これらの例えをきっかけに禅の宗旨に立ち返ったり、また禅の精神を日々の暮らしで実践するというような用い方は正しい禅語の用い方と言えます。
従いまして、一花開天下春の意味としては特に春に関わる話ではないのですが、あえて夏秋冬に用いるよりは春に用いた方がよいということにはなります。
ただし、春という言葉はただ季節の春を表すのではなく、めでたいこと・物事の成就という意味で用いられますので、やはり季節は問わず用いてよい語ということになります。
意味の探索
さて、一花開天下春ですが、一は禅では「自分自身」を表すことがよくあり、ここでもその意味で捉えるのがよいかと思います。
つまり、一花開いてとは、「自分という一つの花のつぼみがいよいよ開けば」という意味になります。
一花開とは
自分という花が咲くというのは、自分の願いが叶うという世俗的な成功を言っているのではなく、禅という仏教ですので、自分が悟りを開けばという意味で捉えます。
悟りとは何かというのはここでは深入りしませんが、物事のそのものを見ること・自分自身の心と向き合うこと・今という瞬間に全力で取り組むことと考えていただければと思います。
心眼を見開く
逆に言うと、悟ってない状態というのは、物事を正確に見ることができずにあるべき姿・理想像・仮の姿・虚飾にとらわれていうことであり、自分自身に正直ではなく、自分の心のさまを見えておらず、今やっていることでないことを考えている、つまり集中して物事に取り組めておらずいわゆる上の空のような状態ということです。
天下春とは
自分が悟りを開けば、天下春なりということで、ここでの天下は天下統一というような社会の統治機構の意味あいではなく、広くこの世界という意味で用いられています。
春は季節の春というよりは、素晴らしいさま・好ましいありさまのことで、すなわち天下春なりとは「この世界がまったく素晴らしい」という意味になります。
季節の春を例えと捉えて、生命が途絶えかける厳しい冬を過ぎて生命が一斉に輝きだす時を考えてもよいかと思います。
一花開天下春の大意
まとめますと、一花開天下春は「自分自身が悟りを開けばこの世界はまったく素晴らしいものになる」ということになります。
世界が素晴らしいか否かは、極論自分の心の問題だという禅の本旨を示しているわけです。(直視人心 見性成仏)
自分の問題
何か外的な条件で世界が素晴らしくなるわけではなく、何かのせいで世界がダメなわけでもなく、誰かのせいで自分がうまくいっていないわけでもないということです。
自分がうまくいっていないことは、外的な要因によって改善することはできないということでもあります。
外的環境は関係ない
逆に世界がどうなろうとも、社会がどのようにあなたに影響を与えようとも、誰かがあなたを陥れようとしたとしても、自分自身の心持ち一つで世界は素晴らしいものになるといっています。
これは本当だと思います。
禅は最小のもの、立って半畳寝て一畳のスペースと、粗末な衣類・食事があれば、それで十分だと考えます。
力強い生き方を導く言葉
したがって、仮に政治犯として投獄されようとも、明日破産宣告を受けようとも、天下の春は謳歌できるというわけです。
禅というのは宗教でありながら、思考のフレームワークだったり、生活の様式だったりしますので、その実践のさまは禅に覚えのない人のなかにも多くを見出すことができます。
しなやかなこころ
ネルソン・マンデラのように反人種差別活動で30年近い投獄生活を送りながら希望を持ち続けた人もいますし、ヴィクトール・フランクルのようにナチス強制収容所で妻、父、母を失いながら、前向きに生き著述した人もいます。
この稿では、ヴィクトール・フランクルの言葉に、一花開天下春を見出してお仕舞いとさせていただければと思います。
あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、
それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、
自分のあり方を決める自由である。
ヴィクトール・フランクル
Everything can be taken from a man but one thing: the last of the human freedoms—to choose one’s attitude in any given set of circumstances, to choose one’s own way.
ここでの自由は禅らしく「自分に由(よ)る」・自分次第という意味で捉えるとよいかと思います。
まとめ
マンデラやフランクルに比べれば、我々の苦境などごく小さなものとも言えます。
これを読む皆様の今日がどのような季節か分かりませんが、いかんにかかわらず自分の心持ちを変えて、世界を素晴らしいものへと変えていただければと思います。
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