無山不帯雲(やまとしてくもをおびざるはなし)
理想通りにはいかない、誰にでも邪念・煩悩があるように
「無山不帯雲(やまとしてくもをおびざるはなし)」は「山として雲を帯びざるは無し」と読み、少し読みづらいですが、比較的用いられることが多い禅語です。
禅の文脈での「山」と「雲」の意味を押さえておくと意味が理解で、前句も踏まえると味わいも増します。
まずは出典から確認していきます。
出典
元の時代、西暦1307年に完成した、その名のとおり禅宗の公案などをまとめた壮大な書「禅林類聚」です。
禅林類聚は「ぜんりんるいじゅう」と読みます。
禅林類聚(ぜんりんるいじゅう)
有水皆含月
無山不帯雲
書き下し文
水有(あ)り 、皆(みな)月を含み
山として雲を帯(お)びざるは無し
意味
池、川、湖、どこの水面にも月が映っている
どの山でも、雲のかからない山はない
解説
2句目が今回の本題ですが、1句目とのつながりがありますので、まずは1句目から含意を確認していきます。
第1句:「有水皆含月」
水は、池、川、湖などを示す言葉として用いられることがあります。
盃などに入った水を指す場合にも使われますが、ここは風景を想起するのがよいかと思います。
月は禅の文脈では「悟り」を示すことがほとんどのため、ここでの意味は「誰であってもその心に悟りの光が照らしている」という意味になります。
第2句:「無山不帯雲」
山は、座禅をしている人を暗喩することがあり、ここではその意味で捉えます。
雲は悟りを遮る煩悩・雑念を示します。
したがって第2句の意味は「心静かにしようと座禅に取り組んでも、誰でも煩悩が頭をよぎるものだ」という意味になります。
この語の季節
山に雲がかかりやすい梅雨から夏にかけての時期がよさそうです。
雲がかかって、残念ながら山の姿が見られないといったときに、「我々の心にも煩悩がよぎるものだしな」とあきらめと自嘲を込めて味の出る言葉です。
例えば富士山
富士山の全体が見える人は年間で150日程度、全体ないし一部が見える日が230日程度だそうです。
つまり、富士山を見に出かけてもしっかり富士山が見える可能性は40%程度の確率ということになります。
何も見えない可能性も35%もあるということです。
「無山不帯雲」という言葉で慰めがあったほうがよさそうです。
広義に用いる
山に雲がかかるという状況から転じて、
・残念ながら催事が雨降りになった
・ただ運悪く、期待した成果が得られなかった
といった場面でも、「我々も煩悩の日々だ、理想の日ばかりではない」とあきらめを味わうことができるかと思います。
まとめ
不運に際して、自らを省みて、少し笑えてくるような、可笑しくて前向きな禅語です。
思い通りに行かずとも、しなやかに笑って生きる強さを示してくれていますね。
日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。
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