座禅会に参加したことがない人にとっては、座禅会はちょっと覗いてみるといったことに心理的障壁が高いものだと思います。いくつかの誤解が原因になっている場合もあるようで、今日はその誤解を1つずつ検証してみたいと思います。
棒で殴られる
禅堂で用いられる棒は警策(けいさく、きょうさく)と呼びます。棒は自ら請わなければ、叩かれることはありまえん。基本的には、ダメな人に対する罰として叩いているわけではないということです。励ましであり、励まされたい人が望んでお願いをして叩いていただくものとご理解ください。
本当に棒で殴られるの?
殴られません。何か悪いことをしたら、棒で殴られるのではありません。何か考え事をして座禅をしていたから、殴られるのではありません。禅堂は、静かで引き締まった空気がありますが、そこに入るのに特殊な資格が必要という訳ではありませんし、試験があるわけではありません。もちろん、いくつかの決まり事や作法はありますが、しかしそれがわかっていないから、棒で殴られるわけではありません。初めての方がわからないのは当たり前のことです。左右の人を見ながら、見よう見まねでやっていただければそれで構いません。まごまごやっていれば、近くの人が教えてくれる。
お願いしなければ、叩かれない
棒は叩かれたい人が望んで叩かれています。嫌な人は望まなければよいですし、片方の肩の調子が悪いということであれば、それをお伝えいただければ、臨機応変に対応します。大雑把にいえば、座禅をしていてピリッとしたければ、それを請えばよいわけです。慣れてくれば、その一撃が自身の心持ちや道場の空気を澄んだものにしてくれるものとして、楽しくなってくると思います。念のための確認ですが、禅堂に暴力はありません。平和を望んでそれぞれが仏になる場所です。
厳格で怖い人が多そう
座禅道場はキビシーところか
座禅道場と聞くと、厳しい顔をした年長者が、毅然として指導に当たっていて、気が抜けない。そんな印象を持つ人がいるかもしれません。なんとなく立ち入りづらい、おっかない場所だと思い込んでしまう人もいるかもしれません。全く坐禅をしたことがない人や知識がない人は気遅れてしまって近づきがたいと思う方もいらっしゃることと思います。
座禅道場は心やさしい人が集う場所
しかし実際には、それは座禅道場の実態とは大きく異なります。座禅道場に出入りをする人の多くは、おっかないというよりは優しい人たちです。真剣に仏になろうと座禅をする純粋な人たちです。初めていらっしゃる人がいれば、皆親切にしてくれます。騒がしいというよりは静かな人が多い印象があります。修行だということで罵倒されたり、肉体的・精神的な負荷で苦しめられるということもないはずです。初心の方に門戸を開いているのが座禅道場の特徴です。興味本位で覗いて見ても、微笑みで迎えてくれることと思います。
特殊な人だけが行く
座禅会には本当に特殊な人だけが来ているのか
座禅道場なんて聞いたことがなかったし、そんなところに行く人はよほどに志の高い人か、家がお寺の人か、お坊さんか、そうでなければ変わった人なのだろうと考える人もいるかと思います。実際の座禅道場は、お坊さんやお寺の関係者にも門戸を開いていますが、そう言った人たちは少数派で、ほとんどはいわゆる普通の人たちです。仕事をしていたり、学生さんだったり、シニア世代だったり、主婦だったり、本当にいろいろです。座禅道場に出入りをする理由は、皆それぞれです。きっかけもいろいろです。それぞれの理由や目的で来ていいのが、座禅道場の特徴です。
実際には、普通の人たちが集う普通の場所
仕事のパフォーマンスを上げるためでも、人生の疲れを癒すためでも、よいのです。動機はそれぞれ、どういう理由であれ、この文章を読んでいるあなたには、絶対に一度は座禅道場を訪ねていていただきたいと思っています。
痛くても我慢しなくてはならない
座禅は苦しい修行なのか!?
禅は苦行を強いることはありません。座禅道場は人が嫌がることを強制する場ではありません。座禅は、嫌だけど我慢して無理やりやって、頑張ったからご利益があると言ったものではないわけです。苦行、すなわち苦しい修行に意味はないと考えます。禅は、座禅をしている時間だけを修行の時間とは考えず、禅瞬間を修行の時間と考えます。一呼吸一呼吸、一歩一歩、全てが修行の場であり、どこにあってもそこが修行の場というわけです。
座禅は、人を幸せにする楽しい修行
禅が目指している修行の様は、その人がいきいきとその時その時、やっていることに全力で取り組む姿であり、一心不乱に物事に取り組むその横顔です。座禅の時はひたすら座禅ということになります。何かをしているその人は苦しそうというよりは楽しそうに見えるはずです。そして当人は楽しいということすらも忘れて、まさに無心で取り組んでいるというような状態です。そんな風に生きれるように、道場外でもそうあれるように、そういうことを座禅を通じて、あるいはそれ以外のことを通じて身につけて行くのが禅の修行です。
自分には関係がない
禅は仕事、スポーツ、趣味、すべてに通じる
うちは禅宗の檀家ではないし、身近に座禅をする人もいない。座禅は特に自分とは関係がない、と考える方もいるかもしれません。では、皆さんの中で仕事をされている方はいらっしゃいませんか。ビジネスは禅と結構関係があります。著名なビジネスマンの中に、禅を志す人が結構いました。スポーツが好きな人はいませんか。スポーツは禅と大いに関係があります。有名なスポーツ選手やコーチが禅をトレーニングとして取り入れた事実はよく知られるところです。美術が好きな人はいませんか。美術と禅は大いに関係があります。禅は禅画という直接的なカテゴリーだけでなく、文学や建築など広い意味でのアートに対して強い影響を与え続けています。歴史に関心をお持ちの方はいませんか。日本の歴史では、禅の思想や禅僧が大いに時代の流れに影響を与えています。
座禅の効果を見にいこう
自分には関係がない、と思っていた人であっても、知らず知らずに禅の影響の中で今日我々は暮らしているのです。その影響力はむしろ過小評価されているのではないかとさえ思っています。どんな形で私たちの生活に禅が息づいているのか、座禅道場での体験はそれを探し出すヒントの場にもなると思います。
そんなことをしても意味がない
座禅の効果を見にいこう
座禅はして何かよいことがあるの?厳密に言えば、禅は現生利益を志向するものではありませんから、特に良いことはないですよという回答になります。しかし、そう額面ばかりのことを言っていては、せっかく禅に関心を持ってこれを読んでくれている皆さんにあまりにも愛想のない回答になってしまいますから、少しだけこんな効用が期待できるということで紹介させていただきます。いずれ詳しく別記事にしてお話しできればと思っています。
座禅をしてよかったこと
①悩みが消える:
つまらない俗事にいちいち揺さぶられない心持ち。さらにはそのつまらない俗事を楽しんでやろうという気持ちになる。
② 思い切りがよくなる:
枝葉末節を振り払って、本質に直線的にアプローチするようになる。これは仕事のパフォーマンスやスポーツの集中力に繋がることと思います。失敗を恐れない度胸ってやつですね。
③身の回りが綺麗になる:
禅寺も道場も不要なものを嫌います。要らないものは捨てる、使い物はしまう。チリやホコリは不要、掃除徹底というわけです。これが次のメリットにつながります。
④センスがよくなる:
センスというのは服を選ぶセンスという意味のセンスではなく、感覚という意味でのセンスです。本質を志向し、片付いた部屋で暮らす人に備わってくるのは、敏感で繊細な感覚です。鋭い感覚が豊かな感性を生みます。
⑤創造力が高まる:
禅は本質に一直線にアプローチすると書きましたが、その結果として慣例や慣行に対して破壊的になり、結果としてそれが創造性と評価されるような発想やアイデアに繋がります。実際にはただ本質そのものにたどり着いているだけのこと、ということではあります。
⑥健康になる:
座禅では呼吸や姿勢に気を配ります。部屋にあってはその掃除。食事にあってはその料理や食べ方に気を配ります。そして早寝早起き。精神的には先に述べたように快活さが備わってきますから、そうなれば健康そのものの人というわけです。
⑦毎日楽しくなる:
身体が充実し、生活が充実するのが禅であるということが分かってきたかと思います。スポーツやアートの見方も変わってきますし、仕事や家庭と向き合う姿勢が変わってきます。禅とは楽しいものです。
⑧世界が分かる:
ちょっと大胆な言い方をしましたが、禅が掴めれてくれば、仏教が分かってきます。うちの寺の住職の言っていることと違うじゃん、というような気づきもあるかと思います。何れにしてもそうして禅や仏教が分かってくると、死に対する考え方やお寺に対する考え方と言った、日本人が比較的疎くなってしまったいわゆる宗教観というものが正しく身についてくることと思います。
お寺のお坊さんがやるものである
座禅はお坊さんだけのものではない
座禅道場にはお寺のお坊さんもやってきますが、そのほとんどは一般の方で仏教のプロというのは少数派です。実はお釈迦様の時代から、仏教は専門修行僧だけのものではなく、広く一般向けのものとされてきました。専門修行僧以外の家庭や仕事を持って仏門に入った人のことを在家とか、居士といったりします。ですから家庭や仕事を持った人たちの前のことを、在家禅とか、居士禅と言ったりします。お釈迦様は、広く一般に仏性があると言ったわけですから、広く一般に仏門が開かれていることは当然と言えば当然のことです。
座禅はみんなものである、昔から
広く一般(衆生と言ったりします)に向かって説き、維摩(ゆいま)という有名な在家もお釈迦様の周りにいたりしました。維摩の話は、維摩経という本に書かれていて、聖徳太子以来読まれている有名な本なのですが、この中で維摩は実に実社会の中で楽しく仏教をやっています。お釈迦様の中でも屈指の弟子だった維摩は、有名な文殊菩薩なんかもあっさりやり込めてしまうと言った場面も書かれています。
本来の禅は、葬式を知らない
座禅道場は、こうした仏教の正当な伝統に則って、広く一般の人たちのための場としてその門戸を開いています。やはりお釈迦様がそうであったと言われているように、葬式・法事の類を軽視し、その人本人の修養に主眼を置いています。ですから、座禅道場には墓地も位牌もありません。死後の世界を語る人もいません。今日、広く一般の人たちがよりよく生きるための土台づくりの仏門がそこにあるというわけです。ぜひ構えずに気軽に、その戸を叩いてみてください。
日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。
日常生活で実践する
身の回りを片付ける
禅は空理空論を避け、日々の実践を志向します。
身のまわりの片付け・清掃から始めてみてください。
最も始めやすく効果の出る実践方法です。
禅問答に挑戦する
多くの禅語は禅問答に由来しています。
興味のある方は挑戦してみてください。
座禅をする
座禅は最も基本的な”禅”の実践になります。
オンラインで座禅会に参加できる時代になりました。
おススメの禅語
あなたの日常実践を励ます禅の言葉をご紹介します。
勇気をくれる禅の言葉
始める勇気、続ける勇気。自信を持って頑張れ!という禅の言葉をまとめました。
人気の禅語
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もっと短い禅語
禅語は基本的に短いものが多く、しかしながら意味が深いのが特徴です。
突き詰めると、たった一字でも味わい深い意味が生じるのが禅の世界です。
ぜひこちらもチェックしてみてください。
漢字一文字のラインナップ - 「一」:一とは自分自身のこと
- 「風」:目に見えない、とどまらないもの
- 「月」:禅では悟りの喩え
- 「夢」:一切は夢という現実
- 「無」:無を強調するのは禅の特長
- 「道」:道とはすなわち禅の道
- 「雪」:禅は冬の宗教
- 「心」:何はなくとも心が大切と考えるのが禅
- 「坐」:座禅が“禅”の基本。しかし執着はしない。
- 「雲」:消え去る雲に捕らわれるな
- 「山」:静寂にして不動
- 「花」:何も考えずに生き抜く美しさ
- 「茶」:日常生活のメタファー(たとえ)
- 「水」:老荘の影響を受けて水は良きもの。川を意味する。
- 「喝!」:最も短いアドバイスの言葉
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