「捨て活」でスッキリ!シンプルライフ。こだわらない生き方
「捨て活」のススメ:
始め方とやり方、そしてその効果
「捨て活」で気持ちよく暮らすためのやり方をライターの美咲まき子さんにまとめていただきました。
気になる効果として、爽やかな心持ちやシンプルライフ、こだわらない生き方が実現できそうです。
テレビ、家具、じゅうたんなどの家財道具から、禁断の卒業アルバムにも着手した実施録です。
広告代理店のメディアプランニング部署で約20年勤務した後、現在はフリーライターと整理収納コンサルタントのパラレルワークをこなす。詳細はこちらから。
「捨て活」とは?
「断捨離」とは少し雰囲気が違い、カジュアルな響きがありますよね。
就活、婚活、恋活、終活、妊活、離活、朝活・・・最近は驚くほどたくさんの「〇〇活」が出て来ました。
「捨て活」もその一種、読んで字のごとく「物を捨てる活動」のことです。「捨活」と書く場合もあります。
ちなみに「断捨離」とは、欲を断ち、不要なものを捨て、執着を手離すことより、“心を開放し、身軽で快適な生活・人生を手に入れるための”思想”のことで、ヨガの思想が元になっています。
「断捨離」が単なる片づけとは違う、心や思想にフォーカスしたものであることに対して、「捨て活」はよりカジュアルに、物を捨てる活動そのもの、その行為を表しています。
捨て活と禅
捨て活と禅との関係はこちらをご覧ください。
今回、「捨て活」したもの
今までたくさんのモノを捨てて来ましたが、その中でも「自分の中にあるタブーを破った!」「生活が変わった!」と感じたものを、リストアップしてみました。
- テレビ
- 高級ブランド家具
- アンティークの椅子
- じゅうたん
- 卒業アルバム&卒業証書
それぞれに思い入れのあるものばかり。
これらを捨てた行きさつ、捨てて何が変わったか?について、これから言及いたしましょう。
どうぞしばしお付き合いくださいませ。
捨て活のはじめ
さあ、まずはテレビから。
「捨て活①」テレビを捨てる
実はこの7~8年、テレビを見ることが、ほとんどなくなっていました。
番組BGMが正確な時間を告げてくれるので、朝の通勤準備のタイムキーパーとして、テレビを見るというより「聴く」ために使用していました。
このジングルが鳴ったら〇時〇分、もう出なきゃ!と、そんな具合です。
それでも捨てるという発想はなく、「何かあったら」「大きな事件や事故があった時ニュースを見るために」と考えて、段ボールに詰めて保管していたのです。
イザという時のためのモノほど、あてにならない
それから約5年が経過・・・
この間に「何かあってテレビを見なければ」ということは一度もありませんでした。
普段は必要ないけれど、「何かあった時のため」「安心のため」にキープしているモノって、きっとほぼ一生使うことはないのではないかと思います。
そうと分かっていても、なかなか捨てられない。
何度も逡巡した結果、まずは箱から出してみることにしました。
5年も保管していたもので、「何かあった時」に本当に使えるかどうか試してみよう、と。
衝撃の事実
さて、組み立てた結果、分かったことは・・・
なんと!パーツが足りない!接続できない、という事実でした。
画面は砂の嵐、一切映らないばかりか、音声さえも聴こえません。
驚いたことに、使えないことに気づかないまま「イザという時のために」5年も所持していたという、何とも言えぬ脱力のオチでした。
捨ててみて思うこと、今までなぜ捨てなかったんだろう?
テレビがなくなって生活が変わった、というよりも、生活が変わった結果、テレビの必要がなくなった、という逆の例でした。
必要もないのに何年も所持したあげく、最後のオチがおマヌケ過ぎますよね。
捨ててみて思うことは、「どうして今まで、ずっと持っていたんだろう?」ということ。
持っていることで安心していただけ、なくなってみると、なくても良かったんだとようやく気づきます。
「捨て活②」高級ブランド家具を捨てる
心から気に入ったものを一生使おうと、厳選に厳選を重ね、高額を払って購入した高級ブランド家具3選。
- アルフレックスのクイーンベッド
- 高級ブランド家具
- コンランショップの本棚
一生使うと決めて購入したもの
大体200万円くらい使った記憶があります。
一生付き合うつもりだったから、何度か引っ越しがあっても、もちろん手放すことなく一緒に移動してきました。
これらを収容するために、1人で4LDKの賃貸マンションに住んだこともあります
大きい家具はスバラシイ。
クイーンベッドの大きさは、ほぼ真四角、ドサーッと飛び込んでも柔らかく安定して受け止めてくれる、何ともいえない安堵感がありました。
6人掛けダイニングテーブルは、半面にデスクトップパソコンを置き、残り半分で食事もできるという、1つあれば何でもできてしまう広さ。
友達とホームパーティーをしても快適に楽しめます。
スライド式の大容量本棚は、高級家具だけあってとても頑丈、大きなアルバムから小さな文庫本まで、何でも収容してくる頼もしいものでした。
大きい家具に対する、初めての疑問
ある時、遊びに来た友人からの「家具、大きすぎない?」の一言で、ハタと・・「?」
一瞬自分の中に疑問符が浮かんだことがキッカケです。彼女いわく、家に対して家具が大きすぎると。
確かに、家具を買った当時住んでいた家は3LDK、それから引っ越して1LDKに詰め込んだものだから、余白スペースがなくギチギチだったんです。
でも吟味に吟味を重ねて、一生付き合うと決めて購入したもの。しかもすごく高価だったからと、どこに引っ越しても、手放すことなど微塵にも考えていませんでした。。
「一生もの」という強い思い込みがあったから、小さい部屋に引っ越したところで、そのバランスの悪さに気づくことができなかったんですね。
見えていても、本当の意味では「見えて」いなかった。
思い込みって、結構怖いものです。
ついに手放すことを決意
友人から言われたことで初めて、確かに1人暮らしには大きすぎるようだ、と気づきました。
客観的な目線は、本当にありがたいですね。
ただ、すごく高い買い物だったしと、踏ん切りがつかずに数年経過。
年をかけて、ようやく「こんなに大きくなくていい」「今の自分にちょうどいいサイズでいい」と本当に思えるようになったんです。
部屋は、住む人の内面そのもの
この時期、会社員としての生き方にも一旦区切りを付けようと観念した、そんなタイミングでした。
これまでのライフスタイル、価値観、いわば会社員として身に着けて来た垢のようなものを一旦すべて手放し、ゼロに戻ることを決めた時、家具や物を手放すことにも決心がついたのです。
私が常々言っていることが、まさにこの状態を表していると思います。
「部屋は、住む人の内面そのもの。」心の中で起こったことが、空間に現れるものです。
どこまで小さく暮らせるか?
会社員を辞め、生活すべてをサイズダウンしようと決めた後、そこから怒涛の「手放し劇」が始まりました。
「どこまで小さく暮らせるか?」をテーマに、スペースを切り詰めてシミュレーション、家具リストを作成しました。
そして、もらってくれそうな知り合いに片端から声をかけました。
これが「ゴミとして処分する」となっていたらまた違った思いだったかもしれません。
長年一緒に過ごした愛着のある家具、それをこんな形で手放すなんて考えてもいませんでした。
家具がなくなった後の、スポーツ後のような爽快感と満足感
そうして手放した時、私の中に湧いて来たものは、まさに爽快感。
あら?何でしょう?と自分でも思いましたよ。
寂しいとか、惜しいとか、残念とか、そんな気持ちになると思っていました。
でも、空いたスペースには、間違いなく「爽快感」が漂い、まるでスポーツ後のように清々しく軽いものがありました。
トコトン付き合い切った、そして愛情深く磨いて送り出した、嫁ぎ先からも心から喜ばれた、だからでしょうか?
大きくて重くて動かせないものが消え、空気が軽くなったと共に、少しだけ哀愁を含みながらも、何かやり切ったような満足感に満たされたのです。
「捨て活③」アンティークの椅子を捨てる
およそ30年に渡り、キッチン付近で使っていたものです。ずっと側にあったから、それに疑問を抱いたことなどありませんでした。
ずっと身近にあるものほど、盲点
そんなある日、キッチンをぼーっと眺めていた時に、ふと思ってしまったんです。
何だか邪魔だなぁと。試しにそこから移動してみたところ、スッキリ開けた視界が目に飛び込んで来て、その気持ち良さに一瞬でヤラレました。
椅子の行先は?
では、椅子はどこに行く?試行錯誤してみたけれど、真っ白な1LDKの中に、アンティークの椅子が馴染む場所はどこにもなかった・・・
それまで30年間も身近にあったものだから、真っ白い部屋に馴染んでないことにも、椅子を置くに相応しいスペースがないことにも気づけなかったんです。
愛をもって送り出すことで、爽快感と満足感が残る
それから、先程のブランド家具と同様に、喜んで使ってくれる人を見つけ、丁寧に磨き上げて送り出しました。
ブランド家具よりも本当に長い間、一緒に過ごした椅子だから、寂しさひとしお・・・
と思いきや、家に帰って開口一番に出た言葉は、「あぁ~!サッパリした!」
椅子がなくなった空間には、やっぱり大きな「爽快感」が広がっていました。
感傷的な気持ちもほんの少しあったけれど、それ以上に清々しさの方が何倍も勝っていたんです。
長い間一緒に過ごした愛着あるものは、愛をもって送り出すと満足感が残るものなんですね。
「捨て活④」じゅうたんを捨てる
ある時、突然気づいてしまったような体験はありませんか?
- 毎日顔を見ていたはずの両親が、相当老け込んでいたこと。
- 長年付き合っていた彼が、全然イケてなかったこと。
- お気に入りの財布が、恥ずかしいくらい汚れていたこと。
コントロール不能な、突然やってくる“気づき”の瞬間ってあるかと思います。
そんな“気づきの瞬間”は、自分にさえコントロールできないもので、イナズマのように突然差し込んでくるものです。
絨毯(じゅうたん)に異変!?
私がある時、気づいてしまったこと。それは、絨毯(じゅうたん)の毛、でした。
部屋の隅に漂うホコリが最近少し赤っぽい、そんなことが1カ月ほど続いたある日のことです。
今度は洗濯物に赤い糸のようなものが付着するようになり、この時点で異変に気づきました。
これは一体どこから来ているのだろう?と家の中を見回してみて、目に留まったのがじゅうたんです。
なんと!あの鮮やかだった赤色が、いつの間にかものすごく色褪せていて、どうやら毛がどんどん抜け落ちているらしいと気づきました。
目には見えないけれど、きっと空気中にもふわふわと繊維が漂っているに違いありません!
その空気を吸い込んでいるのは絶対に身体に悪いような気がする・・
絨毯(じゅうたん)は巨大なぞうきんです!?
そして私は、まるで夫婦のように20年も連れ添った、お気に入りの絨毯を捨てることを苦渋の思いで決断したのでした。(衛生的にもどうかと、今なら思えます。)
リビングには、ソファと絨毯のセットが当たり前、むき出しの床なんて考えられません。
新しいものを購入すべくネット検索中になぜかぶち当たったのが、とあるビジネス系YouTuberの動画。
「絨毯は巨大な “ぞうきん” です!」
と眼力強く言い放つその物言いに衝撃が走りました。
確かに、毛の長い絨毯は、食べカスや髪の毛が入り込んでしまって掃除機で吸い取るのも難しいですから。
絨毯(じゅうたん)を捨てる決断
購入を一旦保留にして、まずは絨毯を捨ててみました。
何も敷いていない床に掃除機をかけると、明らかに空気が一段クリアなものに・・・
今まで淀んでいた空気が一気に引き締まり、透明な空気の輪郭がハッキリ見えたような感覚になりました。
「これは全ての人にオススメしたい!」
絨毯のない生活を一度知ってしまったら、もう二度と戻れない気がするほどです。
むき出しの床がキモチ良いことや、クリアで引き締まった空気が清々しく快適になりました。
寒がりの私でさえも絨毯を購入するという発想が一切無くなりました。
何よりも、部屋がスッキリ広く見えること、そして床の水拭きができるようになったことは大きなメリット。
「捨て活⑤」卒業アルバムを捨てる
これまで、執着していたものを徐々に手放して来た結果、ついに卒業アルバムという最も困難なものに挑戦するに至りました。
「どこまで小さく暮らせるか?」というささやかなチャレンジの中で、卒業アルバムを置くスペースがもったいなく思えて来た、というのが理由です。
卒業アルバムの保管費用は、30年間で約10万円にもなる!
卒業アルバムって、年に1回も見直すことはありません。
ヘタすると10年に1回見ることもないのでは?殆ど使わないモノのために、一定のスペースをずっと割き続けることがムダに思えて来たので、コスト計算してみました。
小・中・高・大学のアルバムを、仮にトランクルームに預けることを想定すると、
30年間で約10万円強というシミュレーション結果に!
計算結果をもとに、ついに決断
改めてアルバムを丁寧に見返してみると、自分が映っているのはほんの2~3カ所だけです。50ページ中の1ページくらいで、しかも豆つぶのように小さい。
その1ページだけのために、重く大きなアルバムを何年も保有する気分が失せて、
何ならそこだけスマホに残せばいいじゃないかと即実行しました。
卒業アルバムの写真に現れていたもの
中学生の卒業アルバムの中にいた私は、少し陰っていました。当時入っていたテニスの部活で、レギュラーになれなかった。
ユニフォームを着て前列に並ぶレギュラー陣の後ろに、体操着で立っているレギュラー落ちメンバー。
思い出と向き合う、さようなら
でも、うっすら影がかかったみたいに、存在感を消している自分の写真にはしっかり現れていました。
うすくモヤがかった風景と、キラキラ木漏れ日がさし込む宝物みたいに輝く空気感と、
その両方が混在する中学時代にアクセスしたような気がして、
しっかりとみじめな感情をここで受け止めることができました。
ココロさわやかに
そうして、アルバムを捨てたら、とっても心が軽くなりました。
陰った感情や、昔の苦い気持ち、古いしがらみのようなものと「切れた」ような気がします。
だから本当に捨てて良かった。
アルバムを捨てることは、物理的な「モノ」を捨てることではなく、「感情」を捨てる行為なのではないでしょうか。
捨て活して、後悔したことは?
モノを捨てるのがもともと苦手だった私が、この数年間をかけて少しずつ手放して来た、その中で気づいたことは、この一言に尽きます。
「手放して後悔したものは、一つもなかった。」
モノを手放すと、何か脱皮したような感じで、どんどん軽くなっていきます。寂しさや惜しいという気持ちよりも、爽快感の方が圧倒的に大きいんですよね。
「今使うか」という判断基準で
どんなに愛着のある物でも、やっぱり「今」の自分にフィットしているかどうかが大事。
そうでないものを手放すことで、「今」の気分に沿って新鮮に生きることができます。
手放した先には、手放す痛み以上の爽快さと、大きな解放感、そして自由が待っています。
まとめにかえて
どうか、自分の“気づき”を大切に、突然やって来る“気づき”を受け入れて、快適にお過ごしくださいませ。
私の経験が、「なかなか捨てられない方」のお役に立つようであれば幸いです。
ここまで長文にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
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