坐水月道場(すいげつどうじょうにざす)

どっかりと腰を下ろすべき道場とはどこにあるか

「水月」の語感から静謐な道場で座禅をするイメージが想起されます。

実際にはその逆で、ごみごみとした人間社会のなかでいかに生きていくことを勧奨する言葉です。

実生活や実社会での禅的生活の体現を説く一語です。

出典

宋代の禅僧、宏智の語録です。

宏智広録(わんしこうろく)

所以修習空花萬行

宴坐水月道場

書き下し文

所以(ゆえん)に空花(くうげ)万行(まんぎょう)を修習(しゅうしゅう)し、

水月(すいげつ)道場(どうじょう)に宴坐(えんざ)す。

短くして用いることも一般的です。

修空花萬行

坐水月道場

意味

1句と2句は対比になっています。

まず1句の意味をみていきます。

修習空花萬行

「万行を修習する」はたくさんの本を読んで修行をするという意味です。

必ずしも本を読むだけでなく、寺院での修行を続けたというように理解してよいです。

空花

空花とは

煩悩 (ぼんのう) にとらわれた人が、本来実在しないものをあるかのように思ってそれにとらわれること。

です。

空花萬行を修す

つまり、実際には役に立たない本を多く学び、人々の生活と結びつかないような役に立たない修行を修めたと言っています。

修行僧が、寺院という特殊で理想的な空間のなかで、人々の生活と乖離した空理空論を学んでいる様子を示しています。

文字を嫌う禅

禅には経典がありません。

文字や文章によって教えは伝達できないという考え方が基礎にあります。(→不立文字、→教外別伝

したがって、「万行を修習する」というのは、禅の文脈ではあまりよろしくないことということになります。

では、どうすればよいのでしょうか。

その答えが2句にあります。

宴坐水月道場

「坐水月道場」が今日の禅語ですが、原文の「宴坐水月道場」の方が意味を取りやすいです。

禅語として用いるには「宴坐水月道場」では少し冗長ですので、「坐水月道場」が茶掛けなどには用いられます。

道場に坐る

まず水月を取り除いて「坐道場」とすると、この語では「道場で座る」という実践が重要であると言っていることになります。

水月とは

では次に水月についてです。

水月は、水に映った月のことです。

ここでの水は、川や湖などの淡水のことを言っています。

水月道場とは、川や月の見える道場のことを言っているということです。

窓から川や月を眺めるというよりは、屋外で川や月を見渡せるような情景を描いています。

つまり、野外の道場ということです。

野外の道場とは実際に人々が集う禅の修行場のことを言っているのではなく、人々が暮らし市井のことを言っています。

水月道場とは人々が暮らす街そのものを道場とすると言っているということです。

宴坐する

人びとが生活する市井を道場とし、そこで「坐す」ということで修行をすると言っています。

原文では「宴坐」となっていますので、直接的に読めば、宴会のような酒宴の場で人々ととも座って食事や酒を楽しむ様子が示されているということになります。

ここでの「宴坐」の真意は、宴会をともにするから転じて、人々とともに生きながら修行をするということです。

解説

1句と2句を合わせるとと「坐水月道場」は、山奥の静かな寺院で多くの仏典を読みふけ修行をした後は、人々が暮らす街に戻ってそこで暮らし、そこで修行をするという意味になります。

禅では、本を読むことだけでなく、ただ座禅をするだけということも好みません。

生活するということを大切にします。

日常生活で修行する

日常生活こそ禅実践の場であり、修行の最良の場であると促します。

生活するということを「茶」などの言葉に込めて、禅語にもなっています。

実社会での実践を大切にする禅語

  1. 喫茶去(きっさこ)
  2. 洗鉢孟去(はつうをあらいされ)
  3. 着衣喫飯(じゅくえきっぱん)
  4. 且坐喫茶(しゃざきっさ)
  5. 逢茶々遇飯々(ちゃにあえばちゃ めしにあえばめし)
  6. 飢来喫飯寒到添衣(うえきたればはんをきっし かんいらればころもをそう)
  7. 一日作(な)さざれば、一日食らわず

実社会で修行する

生活空間という喧騒を忌避するのではなく、そのなかに自分もどっぷりとつかって、自分もしっかり行うことを禅は求めます。

ただ静かに座ること、山中に籠ることよりは、自分も同じ人間として生活をしっかりと行うこと、他の人と交わりながら、社会のなかで「静」を見出すこと、日常生活のなかで座禅をする時間を作ることを大切に考えます。

実社会での実践を大切にする禅語

  1. 坐一走七(いちにざししちにはしる)
  2. 行亦禅坐亦禅(ぎょうもまたぜん ざもまたぜん)
  3. 小隠隠陵藪 大隠隠朝市(しょういんはりんそうにかくれ たいいんはちょうしにまじわる)
  4. 動中の工夫は静中に勝ること百千億倍す

まとめ

禅のやすらぎをもたらす私たちも、ただ山中の静かな空間へのリトリートを求めるだけでなく、しがらみや私利、うそ・でたらめにあふれた娑婆に行きながら、そのなかに「静」を見出し、また「静座」を実践するよう心掛けたいものです。

「坐水月道場」は、書籍を読んだり山中へのリトリートより一段高い目標として、日常実践を志す力強い禅語です。

監修者:「日常実践の禅」編集部

日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。

日常生活で実践する

身の回りを片付ける

禅は空理空論を避け、日々の実践を志向します。

身のまわりの片付け・清掃から始めてみてください。

最も始めやすく効果の出る実践方法です。

禅問答に挑戦する

多くの禅語は禅問答に由来しています。

興味のある方は挑戦してみてください。

座禅をする

座禅は最も基本的な”禅”の実践になります。

オンラインで座禅会に参加できる時代になりました。