「清風匝地」(せいふうそうち)の意味:清々しい風が地をめぐる。理想的な禅の境地を示す言葉。

清風匝地(せいふうそうち)
清風(せいふう)地を匝(めぐ)る
解説清風匝地は同じ意味で、清風満地という言い方もあるので、匝地の部分は「至るところにある」という意味になります。清風は、禅の大好きな表現で、 ...
「下載清風」(あさいせいふう)の意味:すべて捨てて爽やかに生きようという禅語

あさいせいふう、と読みます。
「捨ててしまえば、清風が感じられる」という意味です。
原文では原文では湖の底に捨ててしまったとなっています。そうすると、清風が感じられて誰かに分けてやりたいくらいだという一句です。 ...
「唯嫌揀択」(ゆいけんけんじゃく)の意味:えり好みをやめて、やることに集中しよう。評論よりも行動を

吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
読み方と意味読み方ゆいけんけんじゃく、と読みます。唯だ(ただ)、揀択(けんじゃく)を ...
「穆如清風」(ぼくとして、せいふうのごとし)の意味:なごやかに、風のように

穆(ぼく)として清風のごとし、です。
出典「詩経―大雅・烝じょう民みん」の詩の一節からです。
意味穆は「慎む。やわらぐ。和やか。むつまじい。静か。美しい。」
すなわち、意味としては
「担板漢」(たんばんかん)の意味:人はだれしも視野を狭める板を担いで生きている

「たんばんかん」と読みます。板をかつぐ男という意味です。読み方としても「板をかつぐ男」でもよいかと思います。
意味大きな板を右肩に乗せて担ぐと右側の視界が遮られます。左肩に乗せれば、左側の視界が遮られます。もの ...
「行雲流水」の意味は深い:いろんな意味があるのが人気の理由

座右の銘として用いられる禅語「行雲流水」の解説です。
禅語は常に短いですが、深い意味や文脈があります。
無礙(むげ)の意味:さまたげるものがない状態を示す禅語。自分自身を不自由にしているものとは何か

難解な禅語、「無礙」(むげ)を考えてみたいと思います。そっけなく扱うことの意味で「ムゲにする」といいますが、この場合の漢字は「無下」でまったく意味が異なります。「礙」が見慣れない漢字なだけに、直感的に理解しづらいところが無礙の難解さの ...
禅語「如是」(にょぜ)の意味:かくのごとし、このとおり。そのまま、ありのままに。

かくのごとし、このとおりとなるが、如是法と同義で考えるべきだという。すべての根本の在り方を如是法である。如是、如是でそのまま、そのままと、Let it be, let it beというようにも捉えることができるようだ。そのものをそのま ...
無着(むじゃく)

着は執着、すなわち執着するなと。勿嫌底法(嫌う底の法なし)である。茶道にあっては、”お好み”の世界である。道具への”こだわり”、一味違うといったことに面白さを感じる文化という側