帰家穏坐(きかおんざ)
どこに出かける必要もない
本当に大切なものはどこにあるのか、この問いの答えが「帰家穏坐」です。
直接的な意味は「家に帰って穏やかに座る」という意味です。
もちろん、それでは禅語の意味にはなりません。
「帰家穏坐」の禅の文脈での意味を探索していきたいと思います。
前提となる禅の考え方
まず、釈尊が悟りに至るエピソードを押さえておく必要があります。
このエピソードの解釈が、「帰家穏坐」を理解するための禅の考え方として重要です。
釈尊の厳しいの修行の終わり方
釈尊が山中をさまよう厳しい修行の果て、菩提樹の下で座禅をして悟りを得たとされています。
大変な苦労を重ねた修行の旅の末に、悟りに至ったというエピソードです。
しかし禅での解釈は少し違います。
禅の解釈
禅ではこのエピソードについて、前段の厳しい修行はまったく意味がなかったと考えます。
そうして菩提樹の下で座禅をした部分こそが重要だったと考えるわけです。
ゆえに禅では、厳しい修行(苦行)は基本的に忌避され、ただ座禅をすることが勧奨されます。
うろうろ出かけない
悟りを得るのに、修行僧が厳しい修行も遠い国に教えを乞いに行くことも意味がないと考えるのが禅です。
多くの禅僧が、日本から中国に渡って学んだり、全国を周遊して修行をしてきた過去の歴史を考えると、納得いかない話にも聞こえます。
幻想を打ち砕け
重要な点は、「素晴らしいものを得るには苦労をしなければならない」という幻想を打ち砕くことにあります。
誰でもすぐに悟りを得ることができるというのが禅です。
どこかに行かずとも、家で座禅をすればよいというわけです。
近い意味の禅語
真仏坐屋裏(しんぶつおくりにざす))といって、うろうろ出かけずと、どっかりと腰を下ろすことを禅では重視します。
真仏坐屋裏は、本当の仏は家の奥の部屋にあるという意味です。
目の前にある
「さまよい歩く餓鬼になるな。ここが極楽である」というのが、禅の考え方です。
つまり、釈尊は山中を日夜歩く必要はなかったと考えるわけです。
禅では苦行は否定されています。
近い意味の禅語
今、ここにいる私を差し置いて、遠い外国に真実があるといった考え方を禅では嫌います。
様々な言葉で禅はこのことを教えてくれています。
「在眼前」、「明珠在掌」、「当処すなわち蓮華国」、「遍界不曽蔵」といった言葉に「大切なものは目の前にあるのだから、うろうろしなくていい」という禅の考え方が表されています。
帰るべき家とは
「帰家穏坐」も「真仏坐屋裏」も、いずれも家に目を向けろという禅語です。
では、その家とはどこかということが問題になります。
実家を離れて一人暮らししている人は、実家に帰る必要があるのでしょうか。
一人暮らしをしている家が、ここでいう家なのでしょうか。
ここでいう家はそのどちらでもありません。
帰るべきは自分自身
これらの言葉のもう一つの共通点は、「坐」です。
どこへも行かずに家で“座っている”ということです。
その座っている自分自身が仏であると考えるのが禅の最も重要な考え方です。
白隠の「この身すなわち仏なり」という直接的な表現にこのことが端的に表されています。
禅では“自分”がスーパースター
何があってもまず自分を出発点に考えること、禅の「自由」「自力」「自主」といった宗風につながっていきます。
主人公、天上天下唯我独尊、金毛獅子などの禅語にみられるように、禅は力強い主体性を発揮するよう人びとを励ましますが、その根本には「この身すなわち仏なり」という考え方があります。
自分自身に立ち帰ってどっかりと腰を下ろせと言っているということになります。
帰るべきは自分のこころ
帰るべき家が自分自身であるとして、その帰るべき自分自身とは何かという問題が出てきます。
禅の答えは簡単で、「自分のこころ」であるということになります。
つまり、自分の心に立ち返れということです。
近い意味の禅語
青年の釈迦は山中で苦行を重ねていましたが、どこに何をするでもなく、ただ静かに座って自分のこころと向き合えばよかったというのが、禅の考え方であり結論です。
近い意味の言葉として「直指人心 見性成仏(じきしにんしん けんしょうじょうぶつ」、「即心即仏(そくしんそくぶつ)」、「一箭中紅心(いっせんこうしんにあたる)」といった言葉があります。
座って自分のこころと向きあえば、
自分の心に立ち返る方法論の一つが、座禅ということになります。
「帰家穏坐」は「真仏坐屋裏」と同様に「坐」をヒントとして与えてくれています。
禅では座っているだけで、色々なことが分かってきたり、できてきたりします。
この感覚は実際にやってみて、続けていかないと分からない部分ではあります。
「独坐鎮寰宇(どくざしてかんうをしずむ)」、「閑坐聴松風(かんざしてしょうふうをきく)」といった言葉もチェックしてみてください。
まとめ
旅から帰ってきて、やれやれとお家で腰を下ろすという情景が目に浮かぶ言葉です。
この語の本旨は、どっかりと腰を下ろして自分の心と向き合うことです。
今日やってみることができる、実践の言葉です。
日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。
日常生活で実践する
身の回りを片付ける
禅は空理空論を避け、日々の実践を志向します。
身のまわりの片付け・清掃から始めてみてください。
最も始めやすく効果の出る実践方法です。
禅問答に挑戦する
多くの禅語は禅問答に由来しています。
興味のある方は挑戦してみてください。
座禅をする
座禅は最も基本的な”禅”の実践になります。
オンラインで座禅会に参加できる時代になりました。
おススメの禅語
あなたの日常実践を励ます禅の言葉をご紹介します。
勇気をくれる禅の言葉
始める勇気、続ける勇気。自信を持って頑張れ!という禅の言葉をまとめました。
人気の禅語
禅の世界に興味を持たれた方は、こちらもチェックしてみてください。
もっと短い禅語
禅語は基本的に短いものが多く、しかしながら意味が深いのが特徴です。
突き詰めると、たった一字でも味わい深い意味が生じるのが禅の世界です。
ぜひこちらもチェックしてみてください。
- 「一」:一とは自分自身のこと
- 「風」:目に見えない、とどまらないもの
- 「月」:禅では悟りの喩え
- 「夢」:一切は夢という現実
- 「無」:無を強調するのは禅の特長
- 「道」:道とはすなわち禅の道
- 「雪」:禅は冬の宗教
- 「心」:何はなくとも心が大切と考えるのが禅
- 「坐」:座禅が“禅”の基本。しかし執着はしない。
- 「雲」:消え去る雲に捕らわれるな
- 「山」:静寂にして不動
- 「花」:何も考えずに生き抜く美しさ
- 「茶」:日常生活のメタファー(たとえ)
- 「水」:老荘の影響を受けて水は良きもの。川を意味する。
- 「喝!」:最も短いアドバイスの言葉
- 0字の字