「捨て活」で“禅”を暮らしに取り入れる
捨て活で捨てるもの・得られるもの
禅寺のようにスッキリとした空間に住むために捨て活をしてみましょう。
禅の考え方に則ってやっていけば、部屋も心もさっぱりします。
ライターの美咲まき子さんに連続で捨て活の体験レポートをまとめてもらっていますが、このページでは全体のハイライトを、禅の視点で振り返っていきます。
これまでの捨て活レポート
そもそも捨て活とは、基本的には自宅ないし自室の不用品を処分を指す言葉で、一連の片付け・整理整頓・清掃作業を通じてスッキリとした生活環境を整え、維持していこうという生活改善運動のことを言います。
精力的な捨て活アクティビティ
これまでに美咲さんは、テレビやテーブルなどの処分や、玄関やトイレの片付け方、さらにはご実家の整理などいろいろなチャレンジに取り組まれてきました。
その一部始終はこちらの記事をご覧ください。
禅寺のようなスッキリした空間
これらの活動を通じて分かってきた知見をまとめてお伝えしていきます。
冒頭申し上げましたとおり、このページでは「禅の視点」で一連の捨て活動を見ていきます。
禅寺と捨て活
禅の視点とは、禅寺を想起いただければ分かるとおり、余計なものがなく、清掃の行き届いた環境が禅の志向するところです。
- 無駄な装飾がない
- 当然無駄なものを置かない
- 隅々までキレイにする
こうした禅寺の特長の背景には、当然禅の考え方が大きく影響していますが、捨て活の目指すところと重なります。
禅の考え方
- 大前提として「ない」のが一番
- 「今」使うものだけを残す
- 一か所から徹底的に始める
- それぞれの機能を発揮させる
- 清潔さは日本文化
- とことんまで工夫し続ける
- そこに住む人のココロが表れるから
- 掃除は自分を大切にするということ
それでは、禅寺の簡素・清潔にある禅の考え方から、捨て活を考えていきます。
大前提として「ない」のが一番
絨毯(じゅうたん)は、巨大な雑巾ということで止めてしまいました(笑)
他にもテレビや時計など、使っていないものは要らないものというシンプルな判断で、処分となりました。南無~。
捨ててみて思うことは、「どうして今まで、ずっと持っていたんだろう?」ということ。
持っていることで安心していただけ、なくなってみると、なくても良かったんだとようやく気づきます。
『入門編』
テレビを捨てたときの感想
ないことは怖くない
禅では「無」を強調します。
「ないこと」のほうが有るよりも良いと考え、究極的には何もないということを前提とする禅の思想的背景があります。
(本来無一物といいます。モノを持たない乞食は禅の理想の姿の一つですが、このあたりは難解なのでまたの機会に詳述したいと思います。)
少ないことはよいこと
無くならなくても減っていくことをヨシとします。
数が少ない方が、1つ1つに心を込めることができ、味わうことができるので、少ない方が良いとも考えます。
美咲さんも経験していますが、モノが減ると、少なくなったモノをより大切にするようになります。
少ないものでマインドフルネス
少なくなったモノを味わうようになるということです。
味わう生き方は、いわゆるマインドフルネスのことです。
マインドフルネスは、何か行うことへの集中を意味することが多いですが、それは持ち物でも同じということです。
何かを行う際は2つ以上のことを同時にしない、一つのことに専心することで心をいっぱいにすることがマインドフルネスです。
同様に使わないものを減らしていくことで、使うものとその機能に専心することができます。
ゴチャゴチャ感を減らしたい欲求が高まり、物量に対して厳しいメスが入るようになります。
『玄関篇』
余計なことをしない。少ないものでマインドフルネス
何についても少ない方がよいと考えるので、無駄なおしゃべりはしないという沈黙の文化や、無駄な殺生はしなくてもよいという精進料理の文化が同じ原理から生じていきます。さらには知識や学問といった知的習得にも否定的という禅の特長が出てきます。
これを「無一物中無尽蔵(むいちぶつちゅうぶじんぞう)」と言ったりします。
モノは重要ではない
このモノが少ないほどよいという考え方を支えるもう一つの思想的基底は、モノ自体を軽視し、ココロの問題を重視するということがあります。
モノは消えてなくなってしまう存在、大切なものを覆い隠してしまう存在として軽視します。
(物外といいます)
持たない境地は「雲」になぞらえる
時にそれを「雲」に喩えます。そうした禅語がいくつもあります。
(白雲無根など)
こだわりを捨てる
これは大事だと思っていた、というものもバシバシ捨てていくのが捨て活です。
入門編では、家庭用プラネタリウムやナイキのスニーカーといった思い入れのある、かつ高額なものもどんどん処分していきました。
美咲さんが思い切って捨ててしまった上記5点に関する裏話はこちらをご覧ください。
禅では執着しないことが大事
禅では執着しないことを大切にします。「無着」という言葉を使ったりします。
モノへのこだわりが減ると、心が満たされる
不思議ですが、大切なものがなくなってかえって心が満たされるということが起きてきます。
何かやり切ったような満足感に満たされたのです。
『入門編』
高級ブランド家具を処分して
「今」使うものだけを残す
今に集中する禅では、過去も未来も考えません。
すなわち、過去の思い出や未来の不安を打ち消して、今を充実させていきます。
今必要でないものは、「捨て!」となります。
過ぎ去った「過去」のモノを捨てる
卒業アルバムという大変な難しいものもスッキリ!してしまいました。
現在を大切にするのが禅ではあります。
過去のことは振り返りません。
思い出を大切にしないことをひどいことのように思えます。
禅ではその分、精一杯今を生きようと考えます。
「今」に100%心を込める
それゆえに心を込めて今やっていることに集中するというマインドフルネスを大切にします。
「今」の自分にフィットしているかどうかが大事
『入門編』
マインドフルネスは、味わうと訳してもよいですし、心を込めると訳してもよいですが、全身全霊でと訳してもよいです。
いずれにしても味わうのは今であり、心を込めるのも、全身全霊で行うのも今です。
先々使うかもという「未来」を捨てる
これからまだ使うかもしれない、でも今は使っていないというものがあります。
“今”にフォーカスするのが禅です。
将来使うかもしれないものは基本的にはスッキリ!の対象です。
継続編では、この先使うかもしれないと取っておいたものを、バッサリと処分しています。
- 紙袋
- 箱
- プチプチ&エアークッション
- スーパーのレジ袋
- 包装紙・リボン
- クリーニングのハンガー
- 保冷剤
- プラスチックスプーン&割りばし
- フルーツクッションフルーツケース
- ビニールタイ
美咲さんが捨てた上記10点の品々に関するお話はこちらをご覧ください。
一か所から徹底的に始める
一か所を徹底的にキレイにすることで、その水準に合わせていきたくなる心理作用を促すということ美咲さんはやっていました。
一点突破&全面拡大という考え方です。
「玄関だけ突出してキレイな状態」をつくる。
『玄関篇』
玄関から突破する!
スペースが限られている玄関は、その突破口としてお奨めなのだそうです。
最初は、玄関の床 “タタミ一畳分の小さな面積” からキレイがはじまりました。
とても小さなスポットです。
その範囲がどんどん広がって、しまいには部屋の方まで進出するようになる。
それはなぜか?
そこに「キレイの高低差」が生まれたから。
「純度の高いキレイ」に到達しないと、飛び火が起こりません。
だから、小さい範囲に絞るのです。
広い範囲だと時間がかかり挫折してしまいます。
『玄関篇』
「一」点から世界を変えていくという考え方
一つことから世界を変えていくという禅語がいくつもあります。
- 一滴潤乾坤(いってきけんこんをうるおす)
- 一華開五葉(いっかごようをひらく)
- 曹源一滴水(そうげんいってきすい)
- 一花開天下春(いっかひらいて てんかのはる)
- 一点梅花藥 三千世界香(いってんばいかのずい さんぜんせかいかんばし)
玄関から家中に広がる
まさに玄関篇に始まり、トイレや窓、そして実家などどんどん捨て活の実施場所が広がっていく様子は、一つの花が咲き、そして春が訪れると言った感じです。
ご一緒に捨て活でスッキリしていく様子を味わっていただければと思います。
禅における究極の「一」とは
「一」が意味する究極のものが何なのかはこちらをチェックしてみてください。
「一」が意味する究極のものが何なのかはこちらをご覧ください。
足元を見よ
『玄関篇』ではこのような記述もありました。
大きなことを成し遂げるには、まず足元から・・
『玄関篇』
禅寺の玄関には「脚下照顧」「照顧脚下」「看脚下」といった立て看板があったりします。
直接的には足元を見よということですが、1日の出発点であり終着点であり、玄関を大切にするという意味で捉えてもよい言葉です。
看脚下!
この言葉はある禅問答に由来し、原典ではいくつかの誤答と並べて登場する正答が「看脚下」です。
そこでの意味は「現実を直視し、対応せよ」というものです。
捨て活は現実世界の生活改善という最も身近な現実直視と対応をするものであり、この語の本懐に適います。
玄関掃除となればなおさら、「看脚下」を地で行くことになります。
それぞれの機能を発揮させる
捨て活というと捨てるばかりを考えてしまいますが、捨て活の目的はスッキリ!と心地よく暮らすことですから、部屋がキレイになることや生活しやすくなることも、捨てることと同様に大切です。
スッキリ!整理整頓術
捨てれば必然的にモノが減った分、整理整頓はしやすくなります。
美咲さんの場合も、あちこちが整理され、ビフォーアフターの写真を見ると、見違えるほど生活がしやすくなっていることが分かります。
冷蔵庫付近
洗濯機付近
寝室
それぞれがそれぞれの機能を果たさなければ
禅では、整理整頓という言葉は用いませんが、それぞれがそれぞれらしくあることをヨシとします。
タンスはタンスとして、廊下は廊下としての機能があります。
ハサミにはハサミ、ペンにはペンの機能があります。
見失っていた本来の機能を取り戻す
モノの数が減って、整理整頓が行き届かないと必要な時に必要なモノを使うことができません。
それぞれがそれぞれらしくという禅の教え
意味としてはどれも同じです。「柳緑花紅」は特に人気のある禅語です。
- 柳緑花紅(やなぎはみどり はなはくれない)
- 桃紅李白(ももはくれない すももはしろ)
- 眼横鼻直(がんのうびちょく)
- 松曲竹直(まつはまがれり たけはなおし)
- 山是山水是水(やまこれやま みずこれみず)
- 月在青天水在瓶(つきはせいてんにあってみずはへいにあり)
- 鶏寒上樹鴨寒下水(とりさむくしてきにのぼり かもさむくしてみずにくだる)
- 鳶飛戻天魚躍于淵(とびとんでてんにいたり うおふちにおどる)
清潔さは日本文化
美咲さんの掃除は、常に徹底して細かい部分まで磨き上げるようすが印象的です。
岡倉天心の『茶の本』の一節を思い出してしまいます。
茶人に第一必要な条件の一は掃き、ふき清め、洗うことに関する知識である、
払い清めるには術を要するから。
『茶の本』
茶室や茶道具がいかに色あせて見えてもすべての物が全く清潔である。
部屋の最も暗いすみにさえ塵ちり一本も見られない。
もしあるようならばその主人は茶人とはいわれないのである。
『茶の本』
そのココロは和敬清寂(わけいせいじゃく)
「和敬清寂」の解説で記述したように、茶道において清潔さは重要テーマのひとつです。
茶道は生活と関係がないと思われるかもしれませんが、「茶道は生活芸術である」(芳賀幸四郎)という言葉もあるように、日常生活での実践を求めるものです。
禅の文脈では時に茶は「生活をしっかりやる」という禅の基本テーマを表わす語として用いられます。くわしくはこちら をご覧ください。
日本の禅における特徴:「清潔さ」の強調
禅が清潔さをことさら強調するのは、日本に禅が入ってきて加わった新たな特質と考えられます。中国の禅書を辿ってもそうした記述はほとんどありません。
だから間違っているという話ではなく、むしろ大切にしたい独自の禅文化の特長だと考えられます。
仏教は今のインドで生まれ、禅も同様にインドから中国に渡り、そこで中国の老荘思想や実践志向の哲学と融合して独自の中国禅が成立していきます。
それが鎌倉時代以降に日本で興隆し脈々と受け継がれていくなかで、日本の思想や風土で独自性を帯びていくことは自然なことです。
その独自の禅思想が米国などの展開され、またそのフィードバックを受けているという大きな潮流が実際にあります。
とことんまで工夫し続ける
美咲さんも色々工夫して自分で試しながらやっています。
時に失敗することもあります。
自分でやってみること、これは禅が最も大切にすることの一つです。
頭を使い、手を使い、あちこち歩きまわって、まさに全身で試行錯誤にすることは、とても心が充実しますし、無心にもなれます。
気分転換、趣味としての捨て活・掃除は、家もキレイになり一石二鳥の時間の使い方と言えます。
(⇒「工夫」という言葉は禅の用語です。)
ぜったいにキレイにするという強い意志
実家の捨て活をお母さんと進める場面では、美咲さんの信念と粘り強さが見れました。
ご実家の片付けでは、こちらの写真のように大変な状況でしたが、くじけずにやりきっていらっしゃいました。
あきらめないしぶとさが道を開く
捨て活は単発ではなく、継続していく必要があったりします。
続けていくなかで活路を見出していくという場面が幾つかありました。
例えば、お母さんとの捨て活の場面では、途中からお母さんが捨て活を理解していってくれる様子がレポートされています。
記録を残す
捨て活の継続にあたっては、記録を残すというのもなかなか気づきづらい知恵も披露していただきました。
- 写真を撮る
- エクセル表にまとめる
- 日記に書く
- ブログやSNSにUPする
- 友人に毎日レポートさせてもらう
掃除は楽しいこと
美咲さんの掃除は楽しく進んでいきます。
大掃除編でも段取りしながら、てきぱきと進んでいく姿がありました。
掃除は大変と考えてしまうとなかなか捗りませんし、楽しめません。
大変だけど楽しいと考えたいものです。
禅では楽中苦ありなど言ったりします。大死一番などといって、苦しい状況を好転の兆しと考えることもあります。
そこに住む人のココロが表れるから
モノの代わりに禅が大切にするのは心です。
そして、その心が仏であると考えるのが禅です。(即心即仏といいます)
部屋は、住む人の内面そのもの
部屋は、住む人の内面そのもの
『入門編』
自宅をキレイにしながら、心をキレイにしていくような作業のように思います。
靴底まで磨く
トイレは排気口まで
隅々まで磨き上げる
電気ストーブの内側
窓もピカピカに磨きます
精一杯やって心を満たす
心を満たす方法はモノではなく、1つのモノやコトを精一杯やること(すわなち、マインドフルネスです)と考えるということです。
心はモノが少ないと満ちてくる
より少ないもので暮らすことは、1つ1つの物を大切に心を込めて使うということであり、1つ1つのことを心を込めて行うということです。
ココロ>モノ
ゆえに禅寺にモノが少なくなっていくのは当然と言えます。
ゴチャゴチャものが多い禅寺があったならば、偽物の禅寺でしょう。
余計なことをしないのが禅です。
(すなわち、おしゃべりの多い禅寺、肉食・妻帯の禅寺も同じく偽物でしょう)
「心」にまつわる禅のことば
捨て活をしながら、自分の心と向き合いたい方はこちらをご覧ください。
掃除は自分を大切にするということ
そもそも論ですが、捨て活は自宅から始めます。
公園掃除や会社の掃除でもよいですが、足元から始めるというのは重要です。
心地よい自分の家
禅では禅には「真仏坐屋裏」(しんぶつおくりにざす)といって、直接的な意味は「本当の仏は自分の家の奥に座っている」と考えます。
「真仏坐屋裏」は大切なのは自分の家であり、本質的な意味は「本当に大切なのは自分自身」ということになります。
「真仏坐屋裏」という禅語は。「泥仏不渡水」(でいぶつみずをわたらず)というモノ軽視を意味する禅語とともに対比的に扱われます。詳しくはこちらをご覧ください。
幸せは目の前にある
自分の家を掃除をすることは自分自身を磨くことです。
こうした生き方に禅は大賛成します。
「二祖西天に往かず」と言って、禅ではどこかに出かけていくことには消極的です。
なぜなら、先に述べたように大切なものはすでに目の前にあると考えるからです。
さわやかな気分
大きなものを処分した後の爽快感もスバラシイです。
加えて小さなガラクタを捨てた時に得られる爽快感もまたスバラシイです。
『継続篇』
脳の上にかぶっていたフタが取れた!
真っすぐに天と繋がっているようなクリアな感じです。
『トイレ篇』
心地よくなった状況を、「爽快感」と美咲さんは表現しています。
禅ではモノにこだわらずにさっぱりした状態を「風」という言葉で表現します。
こうした語には、そうしたモノへの執着のないさっぱりした心持ちを表わしています。
まさに美咲さんのやっていることは禅そのものと言えます。
さっぱりした「風」を心に届ける
禅ではモノを捨ててさっぱりとした境地を「風」という言葉で表すことがよくあります。
モノへの執着をなくした境地を「風」で表した禅語はこちらをご覧ください。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
禅を生活に取り入れるきっかけに捨て活を始めてみたり、あるいは捨て活をきっかけに禅文化に関心を持っていただけたなら幸いです。
日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。
おまけ:おススメの禅語
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多くの禅語は禅問答に由来しています。
興味のある方は挑戦してみてください。