「百尺竿頭進一歩 十方世界現全身」の意味:勇気を出して一歩前へ!世界に飛び出そう。
(ひゃくしゃくかんとういっぽをすすめ じっぽうせかいにぜんしんをげんず)
少し長い禅語ですが、勇気を与えてくれる素晴らしい言葉です。
対句になっていて、どちらか単独でも用いられます。
まずは、原文を確認していきます。
出典
出典は最も有名な公案集の一つである『無門関』です。
読み方は、「ひゃくしゃくかんとういっぽをすすめ じっぽうせかいに ぜんしんをげんず」です。
『無門関』第四十六則
石霜和尚云 百尺竿頭 如何進歩
又古徳云 百尺竿頭坐底人 雖然得入未爲眞
百尺竿頭 須進歩十方世界現全身
書き下し文
石霜(せきそう)和尚いわく 百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう) いかに歩を進めん
又古徳(ことく)いわく 百尺竿頭に坐する底(てい)の人 得入するといえどもいまだ真と為さず
百尺竿頭 すべからく歩を進めて十方世界に全身を現ずべし
原文では「百尺竿頭進一歩」となっていませんが、今日一般的には原文の意を活かして「百尺竿頭進一歩」として用いられます。
意味
石霜和尚が言った
「断崖絶壁にあって30メートル突き出た飛び込み板の先にいて、どうやってさらに一歩を進めるのか」
また古徳が言った
「そんな飛び込み板の先にいて座りこんでいるようなら、その人は本当ではないね。
そこから一歩前に踏み出して、世界中に自分のすべてを表わなければいけない。」
1尺は約30センチですので、百尺ということで30メートルとしましたが、百は数字の100というよりは「とても大きい」という意味合いが強いです。
そのため、とても長い飛び込み台と理解いただいても問題ありません。
解説
とても長い飛び込み板が、断崖絶壁から突き出ている状態です。
この長い飛び込み板はいわば「修行の道のり」を意味します。
一歩ずつ確実に先へ先へと進んできたわけです。
その先に得るべきものがあると信じて進んできました。
先端まで来てみたら、その先には何もありません。
どうやって一歩を進めようかという禅問答です。
これに対して、この先端に留まって座っているようではダメだと言っています。
座るはすなわち座禅のことです。
「さらに一歩前に進めて世界中に自分を表わせ」というのがこの対句の意味です。
つまり真っ逆さまに飛び降りろと言っています。
両手両足を拡げて真っ逆さま、まさにバンジージャンプの状態です。
禅の文脈での解釈
禅の文脈での解釈では、「よく学んだ禅の教えを学んだうえで、なお山中の禅寺で座禅をしているようなことをせずに、一般社会に出て大いに人々を導き教化するべし」という意味で理解されます。
山寺という理想的な修行空間は居心地よく、私利私欲あふれる俗の世界は生き抜くことも大変ですが、これをやって行けと言っています。
こういう禅語は他にもあります。
- 坐一走七(いちにざししちにはしる)
- 坐水月道場(すいげつどうじょうにざす)
- 小隠隠陵藪 大隠隠朝市(しょういんはりんそうにかくれたいいんはちょうしにまじわる)
- 動中の工夫は静中に勝ること百千億倍す
一般生活における解釈
禅の修行に限らずとも、何かに取り組んでいくとある程度知識を得たり、経験を積んだりして、だいたいこんなものかというのかつかめてきたりします。
その上で、何だか分からない、これまでの経験や知識が役に立たない挑戦が目の前に立ちはだかったりする場面があるかと思います。
それは仕事の場面からもしれませんし、趣味だったり、学業だったり、色々な場面があると思います。
とにかく前に出ろ
この語はそのような状況において、「そこに立ち止まらずに、とにかく前に出ろ」と言っています。
親切にも「後のことは知らない」とは言わずに、「その一歩を踏み出すことで“自分自身”を世界に表現できる」と言っています。
これまでのやり方が通用しない仕事に挑戦すること、これまでの常識が通用しない状況で、結果の見通しもないけれどもやってみること、こういうことはとても勇気がいります。
こういう挑戦を禅は向こう見ずとは考えず、慎重に考えろとも言わずに、「やってみろ!」と言ってくれます。
慎重であってはいけない
逆にそこに座って沈思したり、本を拡げて勉強したり、経験者の話を聞いて回ったりということを認めてくれません。
ある意味厳しい言葉でもありますが、禅の痛快とも鮮烈とも言える決断力、実行力を示す一語として貴重です。
座右の銘として
「百尺竿頭進一歩 」をとって、勇気ある決断や実行力を促す座右の銘として用いることもできますし、「十方世界現全身」という自己表現や社会貢献などのモチベーションを喚起する座右の銘としても用いることができます。
日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。
ひとこと
世界中に行き渡るほど、余すことなく自分自身を打ちまけて、世界のすべての自分自身を映し出したい。世界に広く示すには何とも心もとない"私"ではあるけれど、それでもなおそうして自分の弱さ、見にくさ、後ろめたさの一切も含めて、すべてを世界の人々にさらし、生きる物すべてにそれを見せつけ、山川草花風月にも憶することなく自分自身を映し出す。宇宙全体にそれを明らかに、宇宙全体と一つになり、宇宙全体が私になる。痛快なる一言。
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