「ぜんぶ、すてれば」の中野善壽のZEN思想

寺田倉庫やホテルニューアカオの経営者


中野善壽「ぜんぶ、すてれば」

寺田倉庫やホテルニューアカオの経営者として知られる中野善壽氏の著書「ぜんぶ、すてれば」から、その根底に流れている禅思想を探索していきます。

持ち物をほとんど持たないミニマリストとして知られている中野氏は、普通の経営者とは一味も二味も違う考え方で、経営する会社を独自の成功への導いています。

その経営哲学と禅との重なりを見ていきます。

はじめに

ホテルニューアカオから、座禅体験に関する連携ができないかとの問い合わせが熱海の禅堂「善心庵」にあり、ホテルニューアカオに関心を持ったのが、この記事を書くきっかけです。

経営者が中野善壽さんといい、何やら有名な人のようで、またAtami Art Grantというアートイベントを展開されているということで関心を持ちました。

著書の「ぜんぶ、すてれば」を読んでみると禅に通じるところが多々あり、ご本人が意識的に禅宗に傾倒しているわけではなさそうですが、強く禅思想の影響を受けているように感じられ、そのあたりのことをまとめさせていただければと思います。

人となり

実在が疑われるほどだったという伝説の経営者中野善壽氏は、近年はメディア露出も増え、そして何より著書が「ぜんぶ、すてれば」をはじめ、大きな関心を得るところとなり有名になりました。

中野善壽氏による自信の経歴紹介は、次のとおりです。

中野善壽(なかのよしひさ)、75歳。

伊勢丹、鈴屋で新規事業の立ち上げと海外進出を成功させる。

その後、台湾へ渡り、大手財閥企業で経営者として活躍。

2011年、寺田倉庫の代表取締役兼CEOに就任。

大規模な改革を実施し、老舗の大企業を起動力溢れる組織に変革させた。

ご本人の人となりを知る面白いエピソードを2つ紹介しておきます。

花を一輪買う学生

大学生時代は、それほど余裕のない寮生活だったそうですが、毎日閉店間際に花屋に行って、花を一輪買っていたそうです。

殺風景な部屋に彩りを与えたいという中野氏の美意識が現れたエピソードです。

花一輪を他よりも優先する中野氏の生き方が格好いいですね。

生活に必要な分以外はすべて寄付

家も時計もクルマも持たない中野氏は、「お金も若い頃から、生活に必要な分を除いてすべて寄付(P.5)」しているそうです。

なかなか変わった人となりが分かったところで、ここからはその根本思想を探っていきます。

分かりづらいかもしれませんが、あえて中表紙で光沢感のある美しい紙が使われています。

こういうところに、中野氏の美的センスの一端が見てとれます。

「ぜんぶ、すてれば。」に表れる中野善壽氏の考え方とZEN

非常に特殊な生き方をされている中野善壽氏の一端が見えてきたことと思います。

ここからは著書「ぜんぶ、すてれば。」から、5つのポイントで中野善壽氏の核心に迫っていきます。

とてもZEN思想的な考え方をする方という印象です。

  1. 持ちものを持たないという生き方
  2. ミニマリストのすがすがしさ
  3. 明日を考えない
  4. ホテルニューアカオを手掛けるアイデアの元
  5. 寺田倉庫を独自に改革した実行力

1.持ちものを持たないという生き方

まず、本のタイトルのとおり、「持たない」という考え方が特徴的です。

禅の文脈を知らない人はびっくりする、知っている人はなるほどと思うような考え方ですが、かなり実践を徹底しているところには、誰もが驚くことと思います。

今日がすべて。

颯爽と軽やかに、ぜんぶ捨てれば。

(P.8)

代表的な禅語「本来無一物」が想起されます。

禅では、乞食のような生き方を最上とする考え方をします。

中野氏は乞食ではありませんが、持たないという考え方を禅僧のように徹底して暮らしているようです。

ポイントは貧しいという心持ちでなく、軽やかで涼しげな様子が伺えることです。

粗末は衣類でも気にせず颯爽と生きるという禅語「破襴衫裏に清風を盛る」の解説はこちらから

何も、必要ありません。

 

ぜんぶ、捨てればいいんですよ。

(P.4)

物に価値を置いておらず、所有にもまた価値を感じていらっしゃらないようです。

先ほど引用したように、家も時計もクルマも。

私もこれらの物には関心がありませんが、こういう人も少しずつ増えているようにも感じます。

物に価値を置かないという禅語「物外」の解説はこちらから

思い出も捨てる。

 

役立たないから。

(P.44)

すべてを捨てるからところから、創造的な仕事をする中野氏の言動からは「無一物中無尽蔵」という禅語が想起されます。

思い出を捨てるという点では、捨て活の一環で卒業アルバムも捨てるライターの美咲まき子さんとも重なりました。

中野氏もおそらく卒業アルバムは持っていないのではないでしょうか。

【参考】卒業アルバムも捨てる「捨て活」記事はこちらから

2.ミニマリストのすがすがしさ

いわゆるミニマリストとして生きる中野善壽氏は、本を読んでいて「さっぱりとした」方なのだなという印象を受けます。

この点も禅の特長と重なります。

世の中に安定はない。

 

常に流れるのが自然の摂理。

(P.32)

「流れる」という考え方は、禅によく見られます。

「白雲は根なし」、「清流に間断なし」と常に流れている状態に一つの理想をみます。

流れるように生きるという禅語「行雲流水」の解説はこちらから

執着を捨てる。

 

精神の自由で選ぶ。

(P.60)

これはこのまま禅語で、「無着」・「自由」という言葉が思い当たります。

精神が捕らわれない理想を求めるところは、禅の比喩表現として先ほどの雲や川以外では、「風」がよく用いられます。

【参考】さっぱりとした心持ちを表わす禅語はこちらから

3.明日を考えない

マインドフルネスと坐禅

75歳という高齢でも現役で仕事をされている中野氏に、自分が高齢であるという認識はありません。

生涯働き続けると宣言している中野氏の根底には、明日を考えないという禅思想と同じ考え方があるようです。

今日できることは、今すぐやる。

 

明日死ぬかもしれないから。

(P.10)

これもそのまま「明日を期せず」という禅語が想起されます。

明日のことは考えずに今日に全力を注ぐという生き方は禅の理想です。

禅語「明日不期」の解説はこちらから

過去の残像を捨てる。

いつも新鮮な自分でいる。

(P.68)

未来は考えないという先ほどの言葉に対して、中野善壽氏は過去も考えないとしています。

卒業アルバムも持っていないのでは、と先ほど勝手に推測したとおりです。

未来も過去も考えないので、当然あるのは“今”だけです。

今しかないという禅語「而今」の解説はこちらから

人生は取るに足らないもの。

宇宙の中の一瞬のまばたき。

(P.68)

人生など一瞬のものだという考え方は、「夢」という禅語と重なります。

人生は夢のようなものだから、自堕落に生きるのではなく、精いっぱい生きると考えます。

4.ホテルニューアカオを手掛けるアイデアの元

発想と実践を重んじる中野氏の考え方は、まさに禅と同じです。

一見不思議なアイデアや、一気に実践するパワーはいずれも禅が目指す境地です。

実物を捨てる。

極上の遊びは、頭の中にある。

(P.74)

禅の悟りの境地は実に自由で、いろいろな奇想天外な発想が可能になります。

極上の遊びは頭のなかでするというのは、道元禅師が月を釣って雲を耕すと言った「釣月耕雲」と同じ境地と言えます。

禅語「釣月耕雲」の解説はこちらから

不思議な禅の世界

他にも禅のイマジネーションを示す型破りな言葉が色々あります。

  1. 一口吸盡西江水 (長江の水を一飲みしてしまう)
  2. 小魚呑大魚 (小魚が大魚を飲み込む)
  3. 半升鐺内煮山川 (小鍋で山や川を煮る)
  4. 一粒粟中蔵世界(一粒の粟に世界がある)
  5. 鉢盂裏走馬 (どんぶりのなかで馬を走らせる)
  6. 毛呑巨海芥納須弥 (毛が大海を飲み込み、小粒が大山を収める)
  7. 滝直下三千丈 (滝が落ちること、9000m)

未経験でいい。

自由な発想で、とにかくやる。

(P.98)

「やってみること」は禅でも重視されていて、逆に議論や読書は軽視されます。

やってみようという進取の精神が中野氏の考えとしてよく本でも表れています。

試行錯誤を大切にする禅語「工夫」の解説はこちらから

5.寺田倉庫を独自に改革した実行力

結果というかたちで寺田倉庫で示した中野氏の実行力には、「自己」の力が内面に強く輝いているように思えます。

周りになんて、合わせなくていい。

自分の中のレジスタンスを守り抜く。

(P.12)

「自分がどうしたいのか」という起点で、会社員時代も経営者としても周囲に驚かれながらも気にせずに邁進する姿は、禅の理想とも重なります。

主体性の究極を中野氏にみることができます

禅語「随所作主」の解説はこちらから

人の評価は気にしない。

自分自身が納得できるか。

(P.)

人がどう考えるかよりも、自分がどう捉えるかを大切にするのが中野氏の流儀です。

人の評価は気にせず、人の話も鵜吞みにせず、自分なりに考えることを優先する姿は、禅が言葉を変えて強調していることと同じです。

他人の言葉をありがたがるなという禅語「乾屎橛(かんしけつ)」の解説はこちらから

毎朝欠かさず

自分自身に誓いを立てる。

(P.)

日々、自分自身に誓いを立てる行為は、毎日自分自身に「主人公」と励まし続けた禅僧のエピソードとも重なります。

自分自身の可能性を信じるという点では「天上天下唯我独尊」にまでさかのぼることもできます。

いずれにしてもある種の“敬けんさ”が中野氏からはにじみ出ているように思います。

【参考】主体性を大切にする禅語はこちらから

まとめ

以上、話題の経営者「中野善壽」の著書を通じて、その内面をZENの観点で探索してきました。

物を持たないミニマリストとして、参考になる部分があったかと思います。

あるいは、人のことを気にしない中野氏にならって、あなたも中野氏のことを気にせず、自分流で生きてみてください。

引用・参考文献:

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監修者:「日常実践の禅」編集部

日常生活のなかにある"禅"文化を探す活動をしています。「心に響く禅語」解説やオンライン座禅会を開催しています。


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